きわめて興味ぶかい研究テーマをかかげた博士論文の公開審査が
来月5日(木)に開かれます。
太田悠介
PHILOSOPHIE DES MASSES : ÉTUDE SUR LA PENSÉE POLITIQUE D'ÉTIENNE BALIBAR
(邦題: 大衆の哲学―エティエンヌ・バリバールの政治思想研究)
太田さんは、『ガーロコイレ』の佐久間さんらとともに、以前、私の大学院演習「文化人類学」を受講されていた方で、日本語による最近の御仕事には、次のようなものがあります。
「ポピュリズムと「人民」のかたち」 『現代思想』41(2)、2013年。
「大衆の情念のゆくえ-アントニオ・ネグリとエティエンヌ・バリバール」 『現代思想』41(9)、2013年。
「矛盾と暴力-エティエンヌ・バリバールの政治哲学序説」 『社会思想史研究』37、2013年。
ご関心のある方は、本学公示文(下記URL)をご参照ください。
http://www.tufs.ac.jp/education/pg/dissertation_committee.html
2015年2月26日木曜日
2015年2月17日火曜日
エルネスト・ド・ジャンジャンバック 『パリのサタン』
風濤社「シュルレアリスムの本棚」シリーズに、このほど新たな一書が加わりました。旧友の鈴木雅雄さんによる訳業です。
読み手にただ、ゴロッとした何かが
説明もなく投げ出されたまま、形容する手立もないその何かの力に、
読み手が圧倒されるばかりのテクスト、それは当のテクストを通じて書き手の姿が消失していく事態と並んで、民族誌の書法においては、かなえられない夢にちかい所業(というよりむしろ無為)に到る筈だと、かねて、文字どおり夢想してきました。そのような境位に達していると、一種の戦慄をおぼえながら読み手として判断できた夢の民族誌は、これまでにもなくはないものの、むろんごく稀有なことです。しかも、それが autobiographyならぬautoethnographyだとしたら…
「美しくも正しくもないが目を離すことのできない何か、シュルレアリスムはそれにこだわる」
「何十年かのち、シュルレアリスムという語はあらゆる奇妙なものを意味する空虚な記号として世界中で用いられるようになるわけだが、ジャンジャンバックはこの語をそのように用いた最初の一人だったかもしれない。
彼にとってシュルレアリスムは理解し実践すべきものではなく、利用すべきものだった。
必要なのは、キリスト教とは反対の方向に彼を赴かせようとする力に名前を与えることであり、その二つの力のあいだで引き裂かれているあり方を保証されることだけだったのだろう
[…]常に対立する二つの力のあいだで引き裂かれていなければならないこと、もし仮にそのどちらかを-結局はいつでも暫定的に-選ばざるをえないとしても、それが主体的な選択であってはならないこと[…]」
「このほとんど忘れ去られたテクストをめくるとき、私たちはそこにある抜き差しならない真実の声を聞きとる可能性を持つ。この目の眩むような落差だけがゲームの規則だ」
(訳者解説より)
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2015年2月11日水曜日
荻野イザベル 「ジェンネとガーナ帝国」
荻野イザベルさんが、先日、クロード・モネの『アイリス』の絵葉書を添えて、御論文の抜刷を贈ってくださいました。
Isabelle Seelemann OGINO
«Djenne et le Ghana: deux modeles sociaux, et la question du commerce trans-saharien»
タイトルの日本語訳(私の試訳です)を含めた書誌は、
下記の通りです。
荻野イザベル
「ジェンネとガーナ帝国: 二つの社会モデルとサハラ縦断交易の問題」 『中央大学経済研究所年報』第45号(2014年)、413-432ページ。
荻野さんと初めてお会いしたのは、2005年。
『アジア・アフリカ・ドキュメンタリー映画会議 2005』で、 私がコートディヴォワールから映画監督モリ・トラオレを招いて、同国の内戦問題にかんする企画を担当したときのことです。
仏語圏アフリカ文学研究の元木淳子さんを通じ、荻野さんが今回届けてくださったのは、
タイトルからも窺えるように、きわめて専門的な西アフリカ史の考察です。現マリ国内の古都ジェンネと、ジェンネ=ジェノ(旧ジェンネ)の史的関係を手がかりに、とくに後者に代表されるような都市編成の社会モデルから、ガーナ帝国の自生的な成立過程を遙かに推測しようとする試みです。いいかえればそれは、ニジェール川湾曲部を中心に古くから展開してきた交易ネットワークが、歴史的にはサハラ縦断交易に先行していた可能性を意味します。西アフリカ内陸古帝国の成立要因をめぐる議論の枠内では、「アラブ刺激」説の解体にむかうような史的再構成の試みといえるように思います。
荻野さん、十年の時を隔てたすばらしい贈り物を届けてくださったこと、心より御礼申しあげます。
Isabelle Seelemann OGINO
«Djenne et le Ghana: deux modeles sociaux, et la question du commerce trans-saharien»
タイトルの日本語訳(私の試訳です)を含めた書誌は、
下記の通りです。
荻野イザベル
「ジェンネとガーナ帝国: 二つの社会モデルとサハラ縦断交易の問題」 『中央大学経済研究所年報』第45号(2014年)、413-432ページ。
荻野さんと初めてお会いしたのは、2005年。
『アジア・アフリカ・ドキュメンタリー映画会議 2005』で、 私がコートディヴォワールから映画監督モリ・トラオレを招いて、同国の内戦問題にかんする企画を担当したときのことです。
仏語圏アフリカ文学研究の元木淳子さんを通じ、荻野さんが今回届けてくださったのは、
タイトルからも窺えるように、きわめて専門的な西アフリカ史の考察です。現マリ国内の古都ジェンネと、ジェンネ=ジェノ(旧ジェンネ)の史的関係を手がかりに、とくに後者に代表されるような都市編成の社会モデルから、ガーナ帝国の自生的な成立過程を遙かに推測しようとする試みです。いいかえればそれは、ニジェール川湾曲部を中心に古くから展開してきた交易ネットワークが、歴史的にはサハラ縦断交易に先行していた可能性を意味します。西アフリカ内陸古帝国の成立要因をめぐる議論の枠内では、「アラブ刺激」説の解体にむかうような史的再構成の試みといえるように思います。
荻野さん、十年の時を隔てたすばらしい贈り物を届けてくださったこと、心より御礼申しあげます。
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おすすめ情報
2015年2月3日火曜日
C.G.S. 2015
この4月から、現代世界論コース所属の3年生となるみなさんにむけて、
このほど教員が、ブック&映画ガイドとなる小冊子を作成しました。
著作については、「入門」篇、「古典」篇、「先端・専門」篇として、計10冊、
映画については5本を基準に、それぞれ簡単なコメントを添えたものです。
グローバル・スタディーズとの関連で、私も書かせていただきました。
今年度の大学院講義「文化人類学」は、そろそろゴールが見えてきました。
年度最後の授業は、KEURGUI のヴィデオ・クリップを題材にとりあげたうえで、
「文化人類学」から「グローバル・スタディーズ」への架橋を図るつもりでいます。
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学部・大学院