2015年9月25日金曜日

美術展 『誰が世界を翻訳するのか』

金沢21世紀美術館の企画展
『誰が世界を翻訳するのか』が、先週から始まりました。

同館チーフ・キュレーターの黒澤浩美さんから
企画展の構想についてメールでご連絡をいただいたのは、今年の始めあたりだったと思います。
10年ほど前に私が編者となって刊行した論集『だれが世界を翻訳するのか-アジア・アフリカの未来から』 (人文書院、2005年)のタイトルを、そのまま美術展のタイトルとして使わせてもらえないかというお問い合わせでした。

「だれが世界を翻訳するのか」という問いは、論集の序文で私が扱った文化人類学に固有の問題提起であるどころか、むしろアートの世界でこそ最も意義を帯び、また問いとしての輝きを増すはずだという思いをかねて抱いていたので、このときのお申し出をたいへん光栄に感じた次第です。展示の現場で、作品の表現者と鑑賞者とのあいだに緊迫した翻訳の賭けが交わされることを願っております。

開催期間は、12月13日までの約3カ月間です。
企画の趣旨や出品作家など、詳細については、
下記URLを御参照ください。
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1725

2015年9月21日月曜日

世界文学CLN 第三回研究集会


世界文学CLNの第三回研究集会が、昨日から立命館大学衣笠キャンパスで始まりました。きょうの午前中に都内で非常勤講義の予定が入っていたため、私は残念ながら、アフリカ文学をテーマとした第一セッションのみの参加でした。
at Bissau, 2011 © I. Majima

タンザニアのスワヒリ文学作家ケジラハビをめぐる、大阪大学・大学院の小野田風子さんの報告には、たいへん強い印象をもちました。小野田さんの研究には、今年のアフリカ学会研究大会でもふれる機会を得ていましたが、今回の報告内容には、聴衆のひとりとして深く考えさせられました。スワヒリ自由詩をめぐる1970年代の論争でケジラハビが担った位置づけ、そしてウジャマー政策にたいする彼の希望から失望への変容過程などとの関わりから、小説『うぬぼれ屋』の主人公カジモトの複雑な人物像に迫っていく手際の鮮やかさが、とりわけ見事であると感じました。

市之瀬敦さんのお名前は、90年代の御論考「アミルカル=カブラルとギニアビサウの言語問題」で、早くから存じあげていましたが、じっさいの御姿を目にするのは今回が初めてでした。 ポルトガル語圏アフリカを構成するアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ各国の文学史を、限られた時間のなかで淀みなく一気に概説されるという市之瀬さんの発表内容は、まさに圧巻というほかない。参考文献としてあげられていたPatrick Chabal (!!)他の論集とともに、市之瀬さんが『griot』誌上で過去に発表された複数の論考に、ただちに目を通さねばという思いに駆られました。
2010~12年のダカール長期滞在中に2度ほど訪れたギニアビサウ。その街や村々の光景が、パラミツの実の香りとともに、いまあらため                                               て記憶に甦ります。

2015年9月16日水曜日

Serrons-nous encore...



, parce qu'il pleut ce soir.




                           A mes semblables
                           Ichiro Majima