2016年7月17日日曜日

おさきまっくろ

ひとつ前の記事で紹介したリレー講義の準備をしているときに、向井孝著『暴力論ノート』の2011年増補版が出版されていたことを知りました。

向井孝 『暴力論ノート-非暴力直接行動とは何か 増補版』「黒」発行所、2011年5月1日

わたしが愛読してきた版は、2002年版でした。そして2011年、大震災から2ヵ月が経とうとしていたこの「増補版」発行日には、わたしはまだダカールにくらしていました。2002年版の『暴力論ノート』も、ダカールの書斎にありました。



戦争抵抗者インター日本部のブログ
「おさきまっくろ」に記されている情報にしたがい、増補版を2冊注文すると、それから少しして、書物といっしょに、水田ふうさんご本人から、まろやかな筆づかいの、心温まる書状をいただき、とても感動しました。

この書物の解説にかえた、水田さんの小気味よい名文「わたしの非暴力直接行動ってなに?」の一部を授業用のレジュメに抜粋し、受講生のみなさんに字面を目で追ってもらってから、一週間ぐらいあとに届いた贈り物でした。

「[…]「非暴力」という真面目な信念を、何か闘争の場でだけ実行しようというのとはちょっとちがう。それはしかけられた戦争に勝つための闘いやない。生きているかぎり、負けても負けても負けてしまわない、当然のわたしらの日常-暮し-としての非暴力直接行動なんや。」

「[…]そやから、非暴力直接行動は、たとえば「人間の楯」や座り込みやハンストやダイインやその他いろんな抗議行動のスタイルやいわゆる非暴力的な戦術に限定されたもんとしていいたくない[…]国民の「生」から、自分自身の、個の「生」をとりもどすことなんや。言い換えたら、日々の生き方において、「非暴力直接行動」を奪還するいうことやねん。[…]」

2016年7月10日日曜日

原初的叛乱者の系譜

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年間の教壇暮らしで最も消尽する
水曜6限(17:40-19:10!)の講義
「世界から考える沖縄」が、
今夏も無事終了しました。

ことしも昨年とおなじメンバーによるリレー講義。どなたの講義内容も、他のふたりに比べるとかなり異様にみえるという、稀にみる攪乱的・理想的なリレー内容。

2年生になったばかりの学生を中心とした100名をこえる受講者に、
わたしが今年伝えようとしたのは、上原安隆の不在の遺書を想像すること、ただその一点でした。

原初的叛乱者たちの隠された系譜をたどる、という今年のサブテーマには、いうまでもなくホブズボームの初期の著作 Primitive Rebels (邦訳タイトル:素朴な反逆者たち)の発想がその基盤を形成しています。系譜、ということばづかいにも、あるいは山口昌男の「徒党の系譜」がインターテクスチュアルに裏書きされているのかもしれません。 昨年、クルギの面々と琉球大学の日本平和学会秋期研究集会で開催したシンポジウムで、阿部小涼さんが言及された「見えないアーカイヴ」のイメージさえ、このテーマにおのずと流れ込んでくるような気もします。

上原安隆の遺書をあらためて想像するにあたり、北条民雄から谺雄二へ、伊藤野枝から向井孝へと、今回は相当な遠まわりを必要としました。くわえて、わたしが折にふれて言及したハキム・ベイや蓮實重彦の一節に、ポカンとしながら何か強いものを受講者の方々が直感してくれたならなあ…と今は思っています。

いずれにせよ、わたしのような者が今の時点でまがりなりにも上原の遺書を想像する作業にとりかかれるのも、ひとえに森口豁と仲里効が重要な仕事を残し、事件を常なる現在として風化させずにきたからに他なりません。森口のドキュメンタリー映像『激突死』それ自体、そして写真集『さよならアメリカ』(仲里効 解説)に再録されたあの一文の重みを、今回もまた、あらためて痛感したしだいです。

森口豁 「たった一人の「コザ暴動」 喜瀬武原・東京・そして今」 2011年(初出2000年)

2016年7月3日日曜日

アリエル・ドルフマンと飯島みどり


畏友・飯島みどりさんがまたもや、すばらしい訳業の贈り物を届けてくれました。

アリエル・ドルフマン 『南に向かい、北を求めて-チリ・クーデタを死にそこなった作家の物語』
  飯島みどり 訳、岩波書店、2016年6月22日発行

歳月をかけ、ひとりの表現者のうちで有無をいわさず抜き差しならなくなっていく、スペイン語(カステジャノ)と英語、ふたつの舌=ことば(レングアヘ)との、狂おしい契り。 ヤヌスの顔をおびたその場に東アジアの翻訳者がおそらくこれまた相当な歳月をかけて憑依しまた憑依されていったなまなましさを、彼女の最終的な訳稿のうちで、テクストそのものをつうじて読み手が後追いできることの至高性。それはまた、ツイン・タワーの2001年に横領された9月11日を、このあと何度でもチリの1973年に引き戻そうとする二人の翻訳者、ドルフマンそして飯島の、力の至高性にも繋がれているはずです。

「 […] 北に向かい南を求め、もはやそこに暮らしてはいない南を求めて、南よ、千々の形を取り、数多の仮面をつけてとうとう君の許へ戻り着きつつあったのに、ピノチェトをもものともせず僕の国を取り戻しつつあったのに、
それなのにその僕の国をまたもや、自分では如何ともし難い歴史/物語のせいでまたも失うことになってゆくとは。[…]」   (>「終章」)

なお、「日本語版への付録」として本書末尾に添えられた、2006年ピノチェト葬儀をめぐるドルフマンの-ひとつの、それともふたつの?-短いテクスト、「さよなら、おじいちゃん Good-Bye to a Grandfather」/「孫たち Los nietos」は、この直後に併載された「訳者あとがき」と合わせて、必読に値する翻訳論としての批評性、というより起爆力にちかい詩趣を湛えています。訳文そのものの流麗さも込みで、見事というほかありません。

「[…] 絶えず回帰する傷を残すような抑圧 […]」  (>「孫たち Los nietos」)