2016年9月20日火曜日

カルロ・ギンズブルグ 『ミクロストリアと世界史』


カルロ・ギンズブルグの新しい訳書が刊行されました。訳者、上村忠男氏の独自編集による日本語版論集としては、『歴史を逆なでに読む』(みすず書房、2003年)に次ぐ、二番目の論集になります。所収論文全7編のうち6編が過去5年以内に発表されている点では、ギンズブルグの最新論文集ともいえるでしょう。

カルロ・ギンズブルグ 『ミクロストリアと世界史 - 歴史家の仕事について』
                            上村忠男 編訳、みすず書房、2016年9月20日発行。


「社会人類学にはただひとつの方法だけがある。比較の方法だ。そしてそれを採用することは不可能なのだ」                                                           (本書155ページ)
 エヴァンズ=プリチャードのこの伝説的な一言を冒頭でしめしながら、途中からジョルジュ・ソレルや”Devenir Social”といった固有名まで飛びだしてくる表題論文「ミクロストリアと世界史」は、読み応えとしても圧巻です。
 ミクロストリアにかかわる文脈でエヴァンズ=プリチャードが言及されるのは、むろん戦後1950年のマレット記念講演がもった思想史上の意義をふまえてのことでしょう。ただそれは同時に、民族誌学の不滅の金字塔 «Witchcraft, Oracles and Magic among the Azende»(邦訳タイトル『アザンデ人の世界』)の書き手へのオマージュとしてでもあったはずです。
 本書所収の論考「わたしたちの言葉と彼らの言葉」でギンズブルグがあらためて言及する89年の自身の論考「人類学者としての異端裁判官」(『歴史を逆なでに読む』所収)との間テクスト的な連鎖を、エヴァンズ=プリチャードのアザンデ民族誌が支えていたこと。人類学と歴史学の近似性を述べるくだりでは、あわせてマリノフスキーの言葉も紹介されます。
  「重要なのは部族Xではなく部族Xに投げかける問いである、とかつてマリノフスキーは語ったことがあった」                                                           (本書87ページ)

  ただ、狭義の人類学につらなる関心とはべつに、この訳書でわたしがひときわ強い印象を得たのは、論集のなかほどに収められたヴァールブルク論、「ヴァールブルクの鋏」でした。「アビ・ヴァールブルクの言語的霊感によって考案された数多くの造語のなかでも最も著名な」言葉、パトスフォルメル(情念定型)を軸に展開される思想史の省察。とりわけ、そこで詳細に掘り起こされる、ダーウィン感情論=『人間と動物における感動の表現』(1872年)と、ヴァールブルクのクロイツリンゲン講演(1923年)=『蛇儀礼』との関係。

 岩波文庫版の『蛇儀礼』(三島憲一訳)に初めてふれたときの読後感は、わたしには忘れがたいものがあります。ビンスヴァンガーの精神病院で療養中だった当時のヴァールブルクによる講演記録のほかに、この訳書には、講演原稿の事後のあつかいをめぐるヴァールブルク本人の短い書簡と、ウルリヒ・ラウルフの行き届いた「ドイツ語版解説」が採録されています。

  「首を切られた研究者の醜い痙攣であるこの原稿」- 書簡にそう記してはばからないヴァールブルク個人の生にとり、プエブロインディアンの儀礼・象徴研究がいかに切迫した意味をもっていたのか。クロイツリンゲン講演がかれにとり、「治癒のためのプログラムであるだけでなく、文字通りの闘争の書」であったことに、ラウルフの解説文を読むまでわたしはまったく気づいておらず、その大逆転に近い衝撃のほどを、読み手のひとりとしていまだに憶えています。

 そのかれが、「戦闘において死にゆく身体」をめぐる「根源的な感情」の事例をダーウィン感情論のなかに発見していたことに、ギンズブルグはこの「ヴァールブルクの鋏」であらためて注目します。上記の「ドイツ語版解説」におけるラウルフの末尾の一文を、このときわたしはふと想い出してもいました。

 「クロイツリンゲン講演はわれわれに、人間の文化的運命についての悲劇的な見解を伝えてくれる、と同時にそのまま悲劇的テクストでもあるのだ」

 共同研究の論集『二〇世紀〈アフリカ〉の個体形成』をめぐる数年前の仕事が、〈アフリカ〉のミクロストリアをめざした反=辺境的、反=伝記的な諸個体の省察に向けられていたとすれば、クルギ以後のわたしは、悲劇をそれとして明言することなく、「エネルギー安全保障」なるものの根底に燃えさかりあるいは燃え尽きつつある四大(elements)のひとつとしての「火」を介し、蛇儀礼の、アザンデ民族誌の、あるいは幻のアフリカを、いままた世界性の鏡として繋ぎあわせようとしているのかもしれません。

 「空を見上げるということこそ人類にとっての恩寵であり、また呪いでもあるのです[…]民俗学をやりながら、おもしろおかしいものに笑ってしまう人は、間違っています。そういう人には、まさにその瞬間に、悲劇的要素を理解する可能性が閉ざされてしまうのです」(Aby M. Warburg)

「火は熱い、しかし火が熱いのは妖術のせいではない。なぜなら、それが火の性質だからである。燃えることは火の普遍的な属性ではあるが、「あなた」を焼くことは火の普遍的な属性ではない。これはまったく起こらないかもしれないし、起こったとしても、一生に一度くらい、妖術にかけられたときに起こることであろう」
                                                 (E.E. Evans-Pritchard)
「わたしは、火を盗んだのだ、と思う」  (Michel Leiris)


最後に、ダーウィンの感情論もカバーしたイギリス感情史研究の重要な研究成果が、近々相次いで刊行される予定であることを、東京外国語大学出版会の編集長として、ここで予告しておきたいと思います。
上村先生、このたびのすばらしい編訳論文集の贈り物、ありがとうございました。

2016年9月18日日曜日

鷹木恵子 『チュニジア革命と民主化』


長年チュニジアをフィールドとされてきた鷹木恵子さんが、このほど新著を発表されました。

鷹木恵子 『チュニジア革命と民主化 - 人類学的プロセス・ドキュメンテーションの試み』
                                            明石書店、2016年9月10日発行。

「本書は、「アラブの春」の起点となったチュニジア革命とその後の民主化移行過程に焦点をあて、人類学的現地調査を踏まえて、ほぼ五年にわたるその経過を、プロセス・ドキュメンテーションの手法を用いて描いたモノグラフである」

序章冒頭でこう記したのち、著者は2010年12月から翌11年1月のベンアリー政権にいたるチュニジア革命と、以後のチュニジアで継続した民主化過程について、人類学者/民族誌家ならではの厚い記述をかさねていきます。じつに全530ページの大著です。

2014年に、新憲法の制定と自由選挙をへた大統領の就任がなされ、革命の目標だった政治の民主化移行が達成されたチュニジアでは、 その一方で、翌15年にテロ事件が国内で続発したように、経済面での民主化にいまだ難題を抱えている現実を著者はまず指摘します。

チュニジア革命と以後の民主化プロセスについてとりわけ注目されるのは、それが全体として、「国民のほとんどを巻き込んでの、まさに参加型での壮大なる社会開発プロジェクトであった」という点である。その間にチュニジアで経過した五年あまりの歳月を一連の開発プロセスとして柔軟に把握するためには、プロセスの多面性、多声性、多所性を意識しながら、当初は予測しえなかった事象の発生もプロセス全体のうちで積極的に跡づける努力が必要になる。既存の著書や論文、新聞や雑誌記事、インターネット情報といった文献資料にくわえて、著者自身のフィールドワークにもとづく観察記録や聞きとり調査の情報も資料に用いながら本書で提唱される手法こそ、副題にも記された「プロセス・ドキュメンテーション」ということになります。

本書「あとがき」では、著者の鷹木さんが1990年代初頭以来、チュニジアの調査生活で垣間見てきた「ベンアリー体制の深い闇」をめぐる印象的なエピソードが紹介されたのち、革命後のチュニジアで進行する現実の速度にウォッチャーのひとりとしてどう対応すればよいのかという戸惑いの思いが綴られます。西アフリカ研究者にあっても、とても他人事とは思えない述懐です。

「[…]多声的に語られる同一の現象、相変わらず同時多発的に頻発している異議申し立て運動など、この先、どのような方向へと向かうのかが不透明であるなかで、それらを一体どのように捉え、描けばよいのか、暗中模索は続いた」

その結果、鷹木さんは、多面的で多声的で多所的な現象を「できるだけそのまま」に描きたいと考えるようになっていきました。ひとりのフィールドワーカーが当のフィールドで生きた歳月そのものを、まさにそれにかなう分量で描ききった作品なのだと思います。

アラブ革命の延長線上で語られることもあるセネガル・ヤナマール運動の2011年を、『火によって』、あるいは『暗闇のなかの希望』によって想像すること

2016年9月13日火曜日

初秋のリレー講義

vers le soir, Ochanomizu
勤務先の秋学期は来月開始ですが、昨日は四大学連合のつながりで、東京医科歯科大大学院のリレー講義を担当してきました。

「世界の文化と医療」という題目の講義で、わたしは人類学のオーソドックスなテーマ、病因論について
連続2コマ分のお話をすることにしました。

東京医科歯科大で例年この講義が組まれているのは、医歯学総合研究科の修士課程MMAコース(医療管理政策学コース)です。履修要項には、「病院管理者や医療政策などの立案にたずさわる社会人を対象として、医療管理や医療政策の分野において指導的立場で活躍する人材の養成をはかるコース」とありますから、その世界ではすでに相当な経験を積まれた、プロフェッショナルにあたる方々が対象となります。それゆえ事前に予想していたとおり、1コマ目の話題提供こそひとまず人類学としての務めをはたしたものの、2コマ目のディスカッションからは、むしろわたしのほうが、医療の現場について受講者のみなさんから多くのことを学ばせていただく場となりました。万が一ディスカッションが盛り上がらなかったときのために用意していた第二のレジュメは、幸いなことにすべて無用となったわけです。長年にわたり助産師の仕事を続けてこられた方、東日本大震災の犠牲者の亡骸に医師として真向かわれた方、国際診療の現場で医療コーディネーターをされている方。おひとりおひとりの発言にはおのずとたいへんな重みがそなわっていて、忘れがたい言葉がいくつか克明に記憶に残りました。