2018年12月23日日曜日

TUFS Cinema プライス・オブ・フリー

アフリカ映画特集第4弾につづけて、年明け早々にTUFSCinemaのさらなる上映会を企画しました。

TUFSCinema
『プライス・オブ・フリー』

日時:
2019年1月8日(火)
 18:30上映 (18:00開場)

場所:
東京外国語大学
アゴラ・グローバル
プロメテウス・ホール

上映作品:
プライス・オブ・フリー
(2018年、アメリカ、1h32m)

上映後のフリートーク
萬宮健策(本学教員)×
小田マサノリ(現代美術家、本学非常勤講師)×
真島一郎(本学教員)

入場無料
申込不要(先着501名)

主催: 東京外国語大学
協力: FINDAS(東京外国語大学拠点南アジア研究センター)
特定非営利法人ACE
                                                     東京外国語大学学生有志
                                                    上智大学学生有志
詳しくは、https://tufscinema.jp/190108-2/
  
「児童労働がなくならないのは、貧困が理由ではない。
 政治的意志が足りないから、児童労働がなくならないんだ」

2018年12月21日金曜日

TUFS Cinema アフリカ映画特集 第4回

TUFS Cinemaのアフリカ映画特集第4回 『女を修理する男』上映会は、昨日予定どおり、満員盛況のうちに終了しました。

本編上映後には、他大学の講義を終えて駆けつけた小田マサノリさんが、サプライズゲストとして、印象的な補足情報「手の中の闇」を披露してくれました。

また、会の終了後には、国連UNHCR協会の担当の方ともお話しすることができました。UNHCRとは、今後も意義ある活動をご一緒できればと願っています。

当日の会の模様については、以下に写真付きの記事が掲載されました。
http://www.tufs.ac.jp/NEWS/trend/181221_2.html

2018年12月13日木曜日

ヴィーコ 『新しい学の諸原理 [一七二五年版]』

ヴィーコ生誕350周年にあたる今年、『新しい学』1744年版の訳者・上村忠男さんが、ヴィーコ研究の厚みをいっそう増すかたちで、このほど1725年版を完訳されました。

ヴィーコ  『新しい学の諸原理 [一七二五年版]』
   上村忠男訳、京都大学学術出版会、
                    2018年12月20日発行。

「クローチェが再評価し、さまざまな思想家に影響をあたえた『新しい学の諸原理』は、汲めども尽きぬ発想の源泉であり、詩的記号論など示唆的な多くの議論を含んでいる」                             (本書 帯より)

「[…]『新しい学の諸原理』一七二五年版と一七三〇年版および一七四四年版とのあいだには、全体の構成にかんしても大きな相違が認められる。[…]ヴィーコは、『新しい学の諸原理』一七二五年版では、その直前に計画して執筆したもののお蔵入りになってしまった『新しい学・否定的形態版』の痕跡をなおも多分にとどめていることを認めたうえで、そのような否定的な、つまりは論敵にたいする駁論的な論の進め方を否定的にとらえている。しかし、一七二五年版がそうした痕跡をとどめていることは『新しい学の諸原理』がどのような学者たちのどのような学説を論敵にして書かれたのかをうかがうのにはむしろありがたいことではないだろうか。一七三〇年版以降では極力払拭の努力がなされているだけになおさらである。[…]一七二五年に世に問われた『新しい学の諸原理』は、これをヴィーコが規定しているように第二・第三版によって代替可能な「最初の新しい学」と位置づけるよりも、それ自体独自の光彩を放つ一個の独立した著作とみるほうが妥当ではないかと思う。」                    (巻末 「解説」より) 

2018年11月24日土曜日

TUFS Cinema 女を修理する男

コンゴ民主共和国の
ムクウェゲ医師が、本年度のノーベル平和賞を受賞されたことを記念して、このブログでも一昨年ご紹介したドキュメンタリー映画
 『女を修理する男』を、
来月のTUFS Cinemaで、無料上映することが決まりました。この企画は、
国連UNHCR協会のご提案により可能になったものです。

一昨年の学内上映会では、この作品と外大生との出遭いをいちはやく実現してくださった、「コンゴの性暴力と紛争を考える会」の米川正子さん(立教大学)、そして本学同僚の 金富子さんに、2年の時を経てストックホルムより朗報が届いたいま、あらためて謝意を表したく存じます。

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TUFS Cinema
アフリカ映画特集
『女を修理する男』

日時:
2018年12月20日(木)
18:30開映(18:00開場)

会場: 本学アゴラ・グローバル、プロメテウスホール
 入場無料・申込不要(先着200名)、一般公開。

プログラム:  『女を修理する男』上映。 本編上映後、作品解説(真島一郎)あり。

作品の概要については、本学HPの下記広報ページをご覧ください。「おすすめ関連書籍」の情報も載せてあります。https://tufscinema.jp/181220-2/

 映画 『女を修理する男』日本語字幕版 予告篇

2018年11月20日火曜日

国際シンポジウム 「1968年再考」


来月12月15日・16日の
2日連続で、
国際シンポジウム
「1968年再考」
が都内で開催されます。

わたしは2日めの16日に発言をさせていただく予定です。ご関心のある方は、
ぜひご来場ください。

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国際シンポジウム「1968年再考:グローバル関係学からのアプローチ」

日時:2018.12.15~16
場所:東大本郷キャンパス

シンポ概要:
「世界が揺れた年」とも評される1968年。この時、欧米、そして日本では学生運動の嵐が吹き荒れ、中国では文化大革命が進行中だった。1960年代後半は、テレビが急速に普及し、通信衛星による世界同時中継が可能になった時期でもある。パリの学生が「我々はテレビを通じて世界とつながっている」と言い放ったのは象徴的である。1968年は、世界各地が瞬時にして繋がり、相互に連関し合う新しい時代の起点として認識され、そして記憶された。
 だが、実際のところ世界はどのように繋がったのだろうか。このシンポジウムでは、世界各地の連関性に着目するグローバル関係学の視点から、1968年の意義について検討する。また、アフリカやラテンアメリカなど、これまでの1968年論ではあまり議論されてこなかった地域にも焦点を当て、世界各地が結びつく、あるいは結びつかないメカニズムについて考えてみたい。

プログラム:
12月15日(土) 14:00-17:00(主言語は日本語)
会場:東大本郷キャンパス・福武ホール
基調講演:
 クラウディア・デリクス(ベルリン・フンボルト大)
   日本の1968年とムスリム世界の1968年-ヨーロッパの視点から
 小熊英二(慶応大学)
   「1968」とは何だったのか、何であるのか-グローバルな視点から見た日本の経験
司会:酒井啓子(千葉大)
討論者:松井康浩 (九州大)、小倉英敬 (神奈川大)

12月16日(日) 10:00-17:00
第1セッション:旧ソ連・東欧(10:00~12:00)
 加藤久子 (國學院大)
   ポーランド「三月事件」を結ぶ点と線-ワルシャワ、バチカン、エルサレム
 井関正久 (中央大)
   1968年から半世紀を経て-ドイツの場合
 松井康浩 (九州大)
   ソ連・西欧知識人の越境的連帯とその意義-起点としての1968年
司会:中井杏奈 (中央ヨーロッパ大)
討論者:藤澤潤 (神戸大)

第2セッション:中東、アフリカ、ラテンアメリカ(13:30-15:30)
 真島一郎 (東京外国語大)
   セネガルの1968年5月
 山本薫 (東京外国語大)
   レバノン小説が描いたアラブ諸国の1968年
 小倉英敬 (神奈川大)
   ラテンアメリカ1968年-:「中間層」主体の変革運動
司会:後藤絵美 (東京大)
討論者:梅﨑透 (フェリス女学院大)

総合討論(15:45-17:00)
司会:福田宏 (成城大)

2018年11月15日木曜日

晩秋の一輪



夏のはじめに入谷からきた朝顔が、おそらくはこれで最期となる一輪をきのう付けている光景にでくわしました。例年は10月初旬が見納めとなるはずのこの草が、葉をつぎつぎと落としながらもこの晩秋に。


  「なんであれかまわないものというのは単独性に空虚な空間が加えられたもの、有限でありながら、ある概念によっては限定されえないものである。しかし、単独性に空虚な空間が加えられたものというのは純粋の外在性、純粋の露呈状態以外のなにものでもない。なんであれかまわないものというのは、この意味においては、外部でのできごとである […] 外はある特定の空間の向こう側にある別の空間ではない。そうではなくて、通路であり、その別の空間に出入りするための門扉である」            («Fuori», Giorgio Agamben  上村忠男訳)

2018年11月12日月曜日

3.11 を心に刻んで


岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」の
コラム「3.11 を心に刻んで」にて、
アートディレクターの北川フラムさんが
11月11日付で一文を発表されました。


『思想』昨年8月号に掲載された小田マサノリさんとわたしとの対談記事のなかから、「一緒に」という言葉のもつ重みと可能性について、省察を示してくださっています。

今年の3月11日にはじまったのち、毎月11日に、
その月の3人の書き手が寄稿する、いずれも心に重く響いてくるWEBコラムです。

2018年11月10日土曜日

TUFS Cinema チリの闘い  全編上映


パトリシオ・グスマン監督による三部構成の
ドキュメンタリー映画
 『チリの闘い』が、
来月12月の
TUFS Cinemaで、
なんと3夜連続、
全編上映されます!

各回の解説陣がまた
超豪華。

まずは右のフライヤーを
クリックして、概要を。

師走イチオシの
上映企画です。
























2018年11月1日木曜日

Silencio Roto : 16 Nikkeis


注目すべき映像と解説からなる上映会が、今月15日に都内で開催される予定です。
関心のある方は、ぜひご参加を

2018年10月24日水曜日

山口昌男 『古本的思考-講演敗者学』

川村伸秀さんの編集による、山口昌男の貴重なテクスト群(全篇単行本未収録!)が、このほど一書として刊行されました。装幀極美麗。

山口昌男 『古本的思考-講演敗者学』晶文社、
                    2018年9月30日発行。

後期山口人類学は、自ら“敗者学”と名づけた、近代日本において挫折した人々や戊辰戦争に敗れた幕臣たちのネットワークの探求に向けられた。それは『「挫折」の昭和史』『「敗者」の精神史』『内田魯庵山脈-〈失われた日本人〉発掘』等へと結実したが、著者は同時期に、敗者学に繋がる講演を各所で行っている。本書に収録したのは、これまでの著者の単行本には未収録のものばかり。なかにはどこにも発表されずに著者の自宅で眠っていたものもあり、初めて眼にする読者も多いはずだ。同じく、単行本初収録となる敗者学関連のインタヴュー、論考、紀行文等も併せて掲載する。            (本書表紙カバー袖、リード文より)

川村さんが巻末「編集後記」にて明記されている初出データをみると、どれも入手がかなり手間取りそうな講演等の原稿であるうえ、没後のご自宅から発見された、ワープロ打ちの原稿や、限定私家版のうちの著者用番外書などが3点も! 一介の山口読みにとっては、禁断の魔界への扉が、またひとつ開かれたような、クラクラした感覚に。
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-   先生は日本だけじゃなくて世界中の古本屋さんに現れてますよね。
山口 危険な素人だからね(笑)。
-   最近の収獲はどうですか。
山口 このあいだプラハに行ったらね、思っていた通りいい古本屋が復興していた。そこで、一九二〇年代の批評家、芸術家でモダニストのカレル・タイゲのものはないかって訊ねたら、ちゃんと三冊出てくるんだよね。ついこの前まで、タイゲの本を売ってたら捕まるような状況だったからたいていは隠してたんだけど、最近ようやく古本屋さんに出るようになった。
-   それを買われた?
山口 これはすごくいい本でね。高かったんだけど買ってしまって、でもチェコ語を読めないから(笑)、これからやらなきゃいけない(笑)。泳げないのに流れに飛び込む(笑)。 
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山口 何年か前、NHKの取材で、ベルギーに行ったんだけど、ディレクターがまずブリュッセルの古本屋で私が本を探してるところから始めたいって言うの。で、それっぽい一軒の店に入って奥でシャンソールないかって訊ねた。向こうも知ってるみたいでね、それなら下の階にあるみたいなことを言う。で、降りていってすぐ見つけた。そうしたらインタヴュアーが「どうして、すぐ見つけることができたのか」って聞くんだよね。
 僕には女漁りの素養はないけどね(笑)、まあ女漁り、男漁り、浅利慶太、なんでもいいんだけど(笑)、もしそうであればね、向こうから歩いてくるだけで相手がなんとなく自分を呼ぶってことがきっとあるでしょ。記号による情報を発信してるってことだよね。本もタイトルと中の活字だけではない。古さとか装幀の仕方とか、ただそこにあるだけの本が発信する記号情報を瞬間的に読み取ることができなければ、出会えないんだよね[…]
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-   古書店で見つけた『赤露脱出記』でしたっけ。その著者の勝野金政を巡ってというところに話を戻したいんですか。
山口 つまり、最初に話しておくとね、たまたま古書店で見つけた一冊の古本から、時間の旅をしたということなのね。
-   長旅ですか。
山口 だいたい僕はね、ギャラが安いほど話が長くなりますから(笑)。ましてや古本組合の雑誌でしょ。ギャラいらないから二年ぐらい連載で話したい(笑)。
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山口 […] 最初にも言ったけど、古本というのはまさに仮設的なものでしょ。その仮設性のなかから何を読むのか。ここでは自分の気づかない自分を読み、先へ進むための手がかりを掴めるかどうかというのが問題になる。そうなると、新刊本というのは固まりきっているパラダイムからしか出てこないから、パラダイム・チェンジの可能性は古本の持つ仮設性の側に遙かにあるんだって言える […] 古本的というのはね、古本を通じて人脈を全部取り戻す、そういう過程を通じて枠組(パラダイム)を作りながらまた古本を探し、探した古本のなかからまた新しい枠組みが出てくる、そういう関係そのものだよね。

                   (以上すべて、本書所収インタヴュー 「雑本から始まる長い旅」より。 一読驚嘆) 

2018年10月23日火曜日

盛況 TUFS Cinema アフリカ映画特集2018


当日配布資料より (@illcommonz 2018)

TUFS Cinema
アフリカ映画特集2018。

満を持しての
「わたしは、幸福(フェリシテ」
上映会を、このほど無事、盛況の
うちに終えることができました。
約300名のご来場者のみなさまには、プロメテウス・ホールの巨大スピーカーで、コンゴ現代音楽を存分に堪能していただけたのではないかとおもいます。

上映後のフリートークについては、
下記紹介記事をご覧ください。
http://www.tufs.ac.jp/NEWS/trend/181022_1.html


2018年10月22日月曜日

アフリカ - 表現と社会



すでにお伝えした
「ジョゼ・デ・ギマランイス」展の
オープニング記念シンポジウムで、
右のようなタイトルのお話をさせていただきました。



当日は、小湊鉄道に揺られながら
すこし早めに市原湖畔美術館まで
うかがって、ギマランイス氏とともに、館内展示作品を鑑賞しました。個々の作品の背景などをご本人がフランス語で丁寧に解説してくださり、じつに贅沢な、審美のひとときをすごさせていただきました。



自己の作品世界とアフリカ美術、あるいは旅と現代世界の連関をときあかすような見事な展示構成で、来月下旬には連日開催のイベントも予定されているとのことです。関心のある方は、この秋ぜひ、周囲の風景も静穏で美しい
市原湖畔美術館まで足をお運びください。おすすめです

2018年10月4日木曜日

当日資料のチラ出し

この一冊を超えるものはいまだにない、幻の名著 (個人蔵)
9月15日付の本ブログでも
前のめり状態で予告したとおり、
来週末12日に、アラン・ゴミスの

『私は、幸福(フェリシテ)』

が本学プロメテウス・ホールで
上映されます。

観覧席は、ふこふこのシートで、
爆音上映で、
しかも予約不要、無料ですぞっ!

これにあわせ、このほどTwitterの
「東京外国語大学TUFS Cinema」では、上映会当日のトークイベントで使われる資料(作成: 小田マサノリ)の一部を、前のめり状態でチラ出しする暴挙に打って出ました!
https://twitter.com/tufscinema
嗚呼キンシャサ。 幻のカセットテープ (個人蔵)

会場で当日配布される資料一式は、
たいへんに手間をかけた、
ゴージャスな内容になっています。
なんといっても、フルカラーで非売品!

ああ、ぼくらの街 キンシャサよ…
この30年の想いを。
Jalousie automatique......


多くの方のご来場をお待ちしています。









2018年10月3日水曜日

ギマランイス展

今月後半から、千葉の
市原湖畔美術館にて、
「ジョゼ・デ・ギマランイス展」が開催されます。
そのオープニング記念シンポジウムに、ゲストとしてお招きをいただきました。私にとっては、きわめて重要な機会になります。

■ジョゼ・デ・
     ギマランイス展
 ~アフリカは魅了する~

2018. 10. 20(土)~
     2019. 1. 14(月)
  於: 市原湖畔美術館
後援: ポルトガル大使館
   日本・ポルトガル協会

■ オープニング
     記念シンポジウム
 「アーティストを魅了する
          アフリカ」
10. 20(土) 14:00 - 17:00
市原湖畔美術館
講演:
  ジョゼ・デ・ギマランイス
ゲスト: 真島一郎
モデレーター: 北川フラム
日葡逐次通訳
定員:70名
(事前予約制、申込はウェブサイトを参照ください)
参加費:1,000円




【作家略歴】
1939年ポルトガル、ギマランイス生まれ。ポルトガルを代表する現代美術作家であり、絵画、彫刻、パブリックアートなどを中心に制作し、国際的に活躍しています。リスボン万博、ポルトガル領マカオの中国への返還等の国民的イベントでモニュメントやロゴマークのデザインを手掛けたことでも知られています。また、非西洋文明圏における文化の交差に強い関心を示し、自身の作品テーマに取り入れるほか、アフリカ、ラテンアメリカ、中国などのプリミティブアートの熱心なコレクターでもあるのです。日本国内でも、ファーレ立川、代官山アドレス、釧路シビックコア、宮城県図書館、越後妻有・大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭など、各地で彼のパブリックアートが親しまれています。

2018年10月2日火曜日

2018 秋学期

秋学期が今週からはじまりました。
今期は、つぎの講義・演習を担当します。


月4 院修士演習
     Annual Review of Anthropology 過去5年の注目論文読解

月5 院博士演習 バタイユ読解Ⅲ
     『至高性 (普遍経済論の試み 第3巻)』第Ⅱ部より

火3 学部講義 (選択科目)
     現代世界における表現/表象の問題系
              参考書: 鹿子裕文 『へろへろ』 ナナロク社

火4 学部3年ゼミ  ゼミ論 Writing Up Seminar


火5 学部4年ゼミ  卒論 Writing Up Seminar


火6  基礎演習


年末には、小田マサノリ先生との「合同ゼミ」企画を、目下立案中。
参加希望者は、連絡ください

2018年9月30日日曜日

存在と変革

portraits vivants
本ブログで先月13日にお伝えした大切な集いに、参加してきました。会場にそっと置かれたおふたりのご遺影を前に、「できるかぎりの発言をしなければ」と、気を引き締めて臨みました。

真島一郎
 「 存在と変革
              - からだを介して」


光を分けて水にあたふるにはあらず。水なければ影なし。亦水を得てはじめて月に影あるにあらず。万川にうつる時も一水に移らざるときも、月において加損なし。
       (佚斎樗山 『天狗芸術論』)

2018年9月27日木曜日

ベトナム戦争の形而上学的背景


岩波書店の『思想』10月号に、このほど書評文を寄稿しました。

真島一郎
「ベトナム戦争の形而上学的背景 - ファム・コン・ティエン『深淵の沈黙』」
『思想』1134 : 127-132。

野平宗弘訳による
ティエン自身のテクスト(日本語初訳)も、同時掲載。


「ぼくはこの本を君のため
だけに書こうと思う」
          (ティエン)

2018年9月20日木曜日

アマドゥ・クルマ 増刷

以前出版した拙訳書の
増刷がこのほど決まりました。長らく品切れ状態で、古書でしか入手できなかった本書が、ひさしぶりに新刊書店の店頭に並びます。

アマドゥ・クルマ
『アラーの神にもいわれはない -ある西アフリカ少年兵の物語』 真島一郎訳、人文書院、初版第一刷発行2003年7月20日。

今回奥付に記される初版第2刷発行日は「2018年9月30日」ですから、じつに15年あまりの歳月をへての現役復帰…。

とはいえ、日本の読書界でアフリカ文学の作品が増刷されること自体、けっこう珍しいケースにあたるでしょうから、今回の朗報、ただ光栄に感ずるばかりです。

2018年9月15日土曜日

TUFS Cinema アフリカ映画特集 2018


たいへんお待たせしました。今年の
「TUFS Cinemaアフリカ映画特集」が満を持して来月中旬にお届けするのは、アラン・ゴミスによるあの傑作 『わたしは、幸福(フェリシテ)』です。

TUFS Cinema
]アフリカ映画特集
『わたしは、
      幸福(フェリシテ)』

日時:
2018年10月12日(金)
開場18:00、開映18:30

場所:
東京外国語大学
アゴラ・グローバル
プロメテウス・ホール

入場無料。申込不要。
定員約500名。

本篇終了後には、
昨年同様、小田マサノリさんとの楽しいトークセッションを予定しています。

詳細はココを。
https://tufscinema.jp/181012-2/
みなさま、ふるってご来場ください。

























2018年9月13日木曜日

合評会 『からだが生きる瞬間』


竹内敏晴と稲垣正浩を囲んで2005~07年に行われた重要な共同討議の記録については、本ブログでもすでに紹介しました。この記録集の合評会が今月末に開催される予定です。会場は青山学院大学キャンパス内で、一般公開です。詳細は、右画像をクリックしてください。

「自分がほんとうに自分であるとき、もはや自分は自分ではない」
             (竹内敏晴)

2018年8月21日火曜日

今夏の三つ

 残暑お見舞いもうしあげます。

今夏鑑賞した長編映画のベスト3作。いずれ劣らぬ名作です。
こみ上げてくるものはそれぞれですが、どれも根もとから揺さぶられる映像でした。

「ラッキー」と「アディオス」は絶讃上映中。3作めのレバノン映画「判決、ふたつの希望」 は今月31日公開予定ですが、日本語版配給元の主催した試写会で、事前に鑑賞の機会を得たものです。


「ラッキー」 (2017年、アメリカ、88m)
■ 90歳の気難しい現実主義者が人生の終盤で悟る、「死とはなにか」。 
『パリ、テキサス』の名優ハリー・ディーン・スタントン、最後の主演作。


 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」 (2017年、イギリス、110m)
■ あれから18年-。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ「ただいま。」そして、「アディオス!」
鮮やかな幕引き。終わらない伝説の始まり


「判決、ふたつの希望」(2017年、レバノン・フランス、113m)
■  ふたりの男のささいな口論が国を揺るがす法廷争いに。
人間の尊厳をかけ、彼らが見つけた新たな一歩に世界が震えた

2018年8月10日金曜日

ゼミ合宿2018


今年は例年よりやや遅く、8月3日から6日まで、3泊4日の日程で、
学部3年生中心のゼミ合宿@軽井沢を実施しました。
栗田ゼミとの合同企画で、院生も含め参加者は25名ほどになりました。

今年度合宿の課題テクストは、
桑山敬己・綾部真雄 編
『詳論 文化人類学:基本と最新のトピックを深く学ぶ』
(ミネルヴァ書房、2018年)。

両ゼミの3年生16人がそれぞれ希望の1章分を担当し、
初日の夜から2日めの深夜まで、まずはみっちりディスカッション。

打って変わって3日め、4日めは、例年レジェンドとヒーロー&ヒロインを
生みだすお楽しみイベント。硬軟おりまぜ、じつにメリハリの利いた
実りある4日間となりました。
この団結力で、秋以降のゼミ論執筆も、どうか無事乗りきってください。

2018年7月20日金曜日

トークイベント大入御礼

今月5日に紀伊國屋書店新宿本店で開催されたトークイベントの模様が、本学HPにトピック記事として掲載されました。

http://www.tufs.ac.jp/NEWS/trend/180713_1.html

なお、同店で開催中の記念選書フェア「いまだ夜深き時代、『深淵の沈黙』を読む」も、予想を上まわる好評ぶりのため、8月9日(木)までの期間大幅延長が決まりました。
ぜひ足をお運びください!

2018年7月14日土曜日

アガンベン 『実在とは何か』

アガンベンの新たな訳書が、刊行されました。

ジョルジョ・アガンベン
 『実在とは何か - マヨラナの失踪』上村忠男訳、
          講談社選書メチエ、2018年7月10日発行。

 一九三八年三月二六日、イタリアの若き理論物理学者が郵便船ティレニア号に乗船したあと、忽然と姿を消した-。
 当時三一歳だったエットレ・マヨラナは、順風満帆に見える時期に、なぜ失踪したのか?  (本書裏表紙リード文より)

 八〇年前の一個体(の消失)をめぐる謎の挿話が、アガンベンの思想とどのように繋がっていくのか。そのことに最初はやや意外な印象をもちましたが、上村忠男氏による巻末の「訳者解説」では、アガンベンの《ホモ・サケル》プロジェクト、とりわけ二〇〇七年の著作『王国と栄光-オイコノミアと統治の神学的系譜学のために』と本書との連続性が指摘されていて、問いの新たな展望が、そのことで一気にひらけるような感覚を抱きました。

「現勢化とはいっさい関係をもたないかたちでみずからを露顕させるような純粋可能態の形態」 が、近代統計学と量子力学を背景として「現実態」に取って代わろうとする時代の界面において、「実在がみずからを実在として主張しうる唯一のやり方」、すなわち本書のタイトルに掲げられた問いそのものを引き出す挿話ないし痕跡としての「失踪」。

2018年7月6日金曜日

編集任期終了

日本文化人類学会の学会誌『文化人類学』(年4冊刊行)で、今期、第27期編集委員会が担当する最後の号
(第83-1号)がこのほど刊行されました。

今期編集主任として、本号で業務の総括に代えて
編集後記を執筆させていただきました。

真島一郎 「編集後記」 『文化人類学』83(1) : 137-138.

査読制改革の件もあり、この2年間に編集主任として受信したメールは、専用フォルダのプロパティ表示によれば、
約3500通にのぼりました。自分から書き送ったメールは
総計何通ぐらいに達しているのか、見当がつきません。

2年前までの自分が、毎日どのような朝と昼と夜をすごしていたのか、けっして誇張ではなく、すぐには思い出すことができない現状ですが、今夏から少しずつ自分のペースを
とりもどし、研究の現場に復帰できればと願っています。





[…] すると、声なき声はまた語った。「おまえは、子供にならなければならない。そして羞恥を捨てるのだ。
若者の誇りが、おまえの魂の中にまだ残っている。おまえの若さは遅れてやって来た。だが、子供になろうとする者は、自分の若さに勝たなければならない」。[…]                      (ファム・コン・ティエン)

2018年7月2日月曜日

マルクス価値(批判)論の新たな眺望

one-pound bill, REPUBLIC OF BIAFRA  (private collection)














先週6月30日のシンポジウムでは、下記の発言をさせていただきました。
『マルクスと商品語』の著者おふたりをはじめとした真剣な共同討議が、じつに贅沢な勉強の機会となりました。

真島一郎 「マルクス価値(批判)論の新たな眺望」

当日配布のレジュメ (PDF)、補足引用資料 (PDF)

2018年6月18日月曜日

紀伊國屋トークイベント 『深淵の沈黙』刊行記念


来月はじめに、紀伊國屋書店新宿本店にて、
『深淵の沈黙』翻訳出版を記念する、野平宗弘さんとのトークイベントを予定しています。

また同店3階フロアでは、6月13日から来月上旬にかけて、
野平さんのセレクションによる選書フェア、
「いまだ夜深き時代、『深淵の沈黙』を読む」を開催しています。
リーフレットをご覧ください。圧巻のラインナップです。


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日時:  2018年7月5日(木) 19:00~

会場: 紀伊國屋書店新宿本店9階 イベントスペース

費用: 500円(当日受付)

定員: 50名(要予約)

ご予約・詳細: https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20180614100029.html
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トークイベント:
  野平宗弘 × 真島一郎 「ファム・コン・ティエンの破壊思想と叛逆の人生」

  1960年代のベトナム戦争のさなか、南ベトナムの文壇に現れて以降、過激な言動、ハチャメチャな生き方で話題をさらい、良識ある大人たちからは煙たがられたものの、悩める若者の代弁者として圧倒的な支持を受けていた、詩人にして思想家のファム・コン・ティエン。ヘンリー・ミラーからは早熟のフランス詩人A.ランボオの生まれ変わりとも評された、その生き方、言動、思想は、時代が変わっても、異なる地域においてであっても、鋭敏な若者たちの感性を挑発し続けてやむことはない。本トークイベントでは、「世界の夜」の時代にあってなお己を貫き生きたティエンの人生と、『深淵の沈黙』(1967年刊)で展開された思想を中心に紹介しながら、今なお失せないその魅力と思想的可能性に迫る。

2018年6月16日土曜日

シンポジウム 『マルクスと商品語』を読む


今月末に開催予定の下記シンポジウムに、コメンテーターとして参加します。
事前予約不要の公開シンポジウムです。

〈シンポジウム〉 今日の資本主義を批判するために- 『マルクスと商品語』を読む

日時: 2018年6月30日(土) 13:30~17:30
場所: 東京外国語大学本部管理棟 中会議室

■ コメンテーター
     浅川雅己 (札幌学院大)
     大橋完太郎 (神戸大)
     真島一郎 (東京外大)
     中村勝己 (中央大)
■ 著者からのリプライ
     井上康 (元予備校講師)
     崎山政毅 (立命館大)
■ 司会
     友常勉 (東京外大)

          井上康・崎山政毅著『マルクスと商品語』(社会評論社 2017年)は、マルクス『資本論』商品論研究の最新の成果である。そしてマルクスに依拠しつつ、今日のグローバル資本主義を批判するための思想的・理論的前提を世界的水準で実現した労作であり、現代社会批判を標ぼうしてきたポストモダニズム批評・存在論的脱構築批評に引導を渡そうとする論争の書でもある。新たな思想上の階級闘争を宣言したこのポレミックな書物を読み解く。                                          (本企画フライヤー リード文)

 
          […]商品論冒頭の価値とその実体としての抽象的人間的労働の導出過程について、マルクスが行った改稿作業の詳細を初版、第2版、フランス語版テキストの比較によって明らかにするという作業は、マルクスが経済学批判体系の礎石を築くために取り組んだ作業を追体験しつつ、著者が考えるその難点の克服を目指すものである。初版では、価値を仮言的に前提した上で抽象的人間的労働の導出が行われた。しかし、現実には価値は、価値として現前するわけではない。それは必然的に交換価値として現象するほかはない。「この現実がまさしくいかなる事態であるのかを、マルクスは解明しなければならなかった。価値はあくまで交換価値の「背後」に「隠れている」のだ。」[…]
          (浅川雅己氏執筆の 『マルクスと商品語』書評文より。 『図書新聞』3353号(2018年6月2日))

2018年6月1日金曜日

竹内敏晴 ほか 『からだが生きる瞬間』


先月の初め、通りがかりの古書店で
三木成夫の『内臓とこころ』を見つけて買っていたことが、
今にして思えば、なにかの兆しだったのか。

先々週、私のゼミを第一希望にしている2年生たちと面談をしていたら、舞踊・身体系のテーマを考えている学生がめずらしく複数いたので、「だったらまずは竹内敏晴のあのバイブルだ」と思い、学校の部屋と自宅の書斎をどちらも探してみたのだが、いくら探してもみつからない。

『ことばが劈かれるとき』を初めて読んだのは、ちょうど自分も大学2年生で、見田ゼミの末席に興奮気味で加わっているころでした。見田宗介先生が、たしか十牛図やクンダリーニ・レッスンを導きの糸としながら、ご自身の思想を惜しげもなく授業でお話しになっていた、80年代前半。見田ゼミでこのバイブルの存在を知り、すぐに読んでいたとすれば、実家の書架に紛れこんでいる可能性もゼロとはいえまい。「ならばいさぎよく」とばかり、当時はなかった文庫版(!)をネット通販で取り寄せたのが、先週のことでした。

ガラス窓に身を打ちつける黄金のスカラベとは、こういう体験なのでしょうか。 それからわずか数日後にわたしは、「著者一同」として、このうえなく貴重な対談記録の御恵送に与ることができたのです。

竹内敏晴 ほか 『からだが生きる瞬間- 竹内敏晴と語りあった四日間』 (稲垣正浩・三井悦子 編)
                                               藤原書店、2018年6月10日発行。

     「衝撃作 『ことばが劈かれるとき』以来、「からだ=ことば」の視点から人と人との関係を問うてきた演出
      家・竹内敏晴が、スポーツ、武道など一流の「からだ」の専門家たちと徹底討論。「じか」とは何かという
      竹内晩年のテーマを追究した未発表連続座談会の記録を、ついに公刊」         (本書 帯より)

                             *

 「竹内: 座禅を一つステップとして置くと、いろんなことがわかりやすくなるだろうと思いますね。たとえば、悟りを開いた場合の一つの例ですけれども。その境涯を問われて「体露金風」と答えるんですね。つまり「体が露わになる。秋風に裸の体をさらしている」と返事をした人がいるんです。[…]『ことばが劈かれるとき』を書いたときには、声が出て劈かれてそれから話すことができるようになったその喜び、みたいなものを書いた。そして、あのときに自分に劈かれたものはそれだけじゃないことがだんだんわかってきた。[…]」

「稲垣: 私が「劈く」でイメージするのは、子供にしろ大人にしろ、自閉していて中に何かがたまってはいるんだけれども、外からの働きかけがないと表出しない、そういう関係でのことではないかと思うんですが……。[…] 要するに、何かが働きかける。つまり、風がフッと吹いて「あっ、冷たい」というときに、皮膚をとおして冷たさを感じることによって、自分という意識がパッと現れる。快適な状態でボーッとしていれば何も考えないわけですよね[…]竹内先生のレッスンにも基本にそれがあるんだと思うんです。ですから、働きかけがあったときに反応する・しないという関係性が重視されるんだと思う。
竹内: 禅で言ったら「啐啄同時(そったくどうじ)」ですね。卵の中に入っていると親鳥が外からチョンチョンとやって、中からもチョンチョンとやって……。[…]」

 「劈く」ということを現象として説明すれば、ここで話し合われたようなプロセスになるわけですが、「劈かれた」体験としては、突然すみ慣れた「囲い」がふっとんで、世界の中に投げ出されて「あった」、ということです。望んだり予期したりするイメージもなく、あらかじめ胚胎するものも準備もない、いきなり襲いかかられる体験。だから新しい「意味」に到達できた、ということではない。「意味」以前の存在にふれている。いやむしろさらけ出されてある、ということでしょうか。これを「じか」と言っておきますか(この「無時間にある」ことは、バタイユの「恍惚」に共通するなにかがあるかとも思いますが)。」 
                 (本書「第二回 「じか」と「エクスターズ」」中の発言、および竹内による「後日追記」)

                            *

「死は[…]それ自体に同一的な事物であると思い込んでいた個人、そしてまた他の人々からもそうだとみなされていた個人を破壊し、なにでもないものへと還元してしまう。そういう個人はただ単に事物たちの秩序のうちに挿入されていたというだけではない。事物たちの秩序のほうも個人の内部に入り込んでいたのであり、その諸原則に応じて個人の内部の一切を配置していたのである […だからこそ、これとは逆に]至高なモメントという問題[…が]二次的な問いとしではなく、有用な作業=作品の世界に穿たれた空虚を満たすべき一種の必然として提起されるということ […]                                                                                                                (Georges Bataille)

2018年5月28日月曜日

dos gardenias




























一鉢ためしに贖ってはみたものの、そして暗香ただならぬ妖しさはござれども、
やはり、梔子は梔子であって、「夏ふよう」で・は・な・い。 ウーム…

行き場を失くしたひとあし早い初夏の夢想は、そぞろ20年前のハバナに。
嗚呼、イブライム・フェレール。

Dos gardenias para ti,  
Con ellas quiero decir ......








2018年5月20日日曜日

ヴィーコ 『新しい学』


ヴィーコの『新しい学』が、美しい装幀のもと、装いも新たにこのほど文庫化されました。

ジャンバッティスタ・ヴィーコ 『新しい学(上・下)』 上村忠男訳、中公文庫、2018年5月25日発行。

一般に『新しい学』と呼ばれるヴィーコのこの主著には、三つの版が存在し、このうち
おなじ上村忠男訳で、法政大学出版局刊行の3巻本を2巻本に再編集した今回の文庫版は、
1744年の第3版(増補改定版)、『諸国民の共通の自然本性についての新しい学の諸原理』の日本語訳です。

                                 *

「諸民族の自然本性は、まずは粗野で、つぎには厳格、それから温和、つづいては繊細、
                                                  そして最後には放埒である」

「詩的記号の品位をそなえていたからこそ、アリストテレスはホメロスのつく嘘には
                                      他人の及びがたいものがあると言ったのである」                         
                                       (上・下各巻の裏帯に引かれた、本書の一節)

2018年5月17日木曜日

対談 TUFSCinemaで世界へ!


本学・東京外国語大学が2015年以来、内外の好評に支えられつつ手がけてきた無料一般公開の映画上映事業
TUFS Cinemaをめぐって、社会言語学・ウルドゥー語をご専門にされている萬宮健策先生と、このほど対談をする機会をいただきました。

真島一郎 × 萬宮健策
     「TUFS Cinema 2018 対談企画: TUFS Cinemaで世界の文化・社会の理解を深める」

ダイジェスト版(&印刷用PDF UpLoad) https://tufstoday.com/articles/180517-2/
対談全編  https://tufscinema.jp/interview180509/

TUFS Cinema ウェブサイト  https://tufscinema.jp/
     (今秋も小田マサノリさんとアフリカ映画特集を企画中! 10月12日の部分にご注目)


2018年5月12日土曜日

阿部年晴 『アフリカ神話との対話』

一昨年の秋にお亡くなりになった
恩師 阿部年晴先生の御遺稿が、刊行されました。

阿部年晴 『アフリカ神話との対話』 三恵社、
                      2018年3月16日発行。


「草の根の神話意識は生活世界に棲息しそこに深く根ざしているが、身のまわりの世界の在り方を自明のこととみなさず、人間社会を支える規範や制度(というフィクション)の究極の根拠を求める。それを社会や文化自体のなかに見いだすことができないので始原へと遡行し、そこで虚無の深淵に直面する。ところが興味ぶかいことに、この深淵は神話意識にとっては、単なる虚無ではなく万物の始原としての無や混沌だ。世界を飲みこもうとする脅威であると同時に、精神と文化が「他なるもの」(絶対他者)に遭遇する場でもある。
                […]
精神や制度の究極の「根拠」はそれ自体のうちにはなく、「他なるもの」(他者)との関係にある […] これが、神話が開示する真実だ」       (本書「なぜいま神話か」より)

2018年4月25日水曜日

関根康正 編 『ストリート人類学』

関根康正さんを編者とする大部の論文集が、このほど刊行されました。全762ページ。

関根康正 編 『ストリート人類学 -方法と理論の
      実践的展開』 風響社、2018年2月20日発行。

「[…]死に隣接した極限的状況の中での人間の創発力が、ぎりぎりのストリート・エッジで発現している[…]端的に言うと、ネオリベが主導するような他者を排除した自己中心のメジャーな見方すなわち「ネオリベ的ストリート化」での往路の想像力では見えない、新たなもう一つ別の次元の想像力が確かにある。それは、他者の受容によって起こる自己変容という動的過程においてまさに創発する復路の想像力である。[…]ある文脈で今の自己がその自己限界状況の中で到来する他者に包み込まれるときに、創発が起こる。この「自己が他者化」するという動的過程を、私としては「根源的ストリート化」と呼んで概念化しておきたい。なぜ根源的と形容するのか。それは、現代のネオリベ思潮という歴史拘束的な次元を超えている、より長波の人間の生の在り方を指し示していると思われるからである。[…]人類学は人間が人間として生きるとは何かを問う、もう少し長波の課題を持っている。この時代に巡り会い、ストリート・エッジを彷徨する極限的な人々の生において、自らの生そして人間の生を豊かにする根源的問いに出会っているのだと思っている。[…]」
                                       (本書序章 「ストリート人類学という挑戦」より)

2018年4月19日木曜日

今年のアマリリス

バオバブ-!




















今年のアマリリスは、はやくも一番鉢が、こんなに端正な花をつけてくれました。

バオバブ(セネガル産)は、今年初めて、葉をつけたまま冬越えしてくれました。
とはいえ、西アフリカでは大乾季の訪れとともにどの大樹も丸坊主になるのがふつうだし、日本では葉にかなり虫がつくのでまだどこかに虫が眠ってるかもしれない。これから夏へとむかうまえに、いちど葉を取り去っておくべきか、思案中。ムムム

中上の紀州サーガでは、中堅どころの登場人物とみなしてもよいほど個々の作品をまたいで描かれる、あの架空の花、夏ふよう(または夏芙蓉)。 妖しげな香気を路地の傍らで放つその白い花を、どうにかして自分の身近に置いてみたい。実在しない路地の幻影を、ならば現実のいずれの花に託せばよいものか…
昨年のちょうどいまごろ、そう思い悩んで自分なりに出した答えは、夏ふようを、シンプルに芙蓉と(たとえば酔芙蓉などと)重ねて想像するのには、やはり無理があるのではないか、むしろ、物語のあれこれの情景からわたしの想像がすこしずつ育んできた「夏ふよう」とは、八重咲きのクチナシに近いのではないかというものでした。そこまで思いをめぐらせながらも日々の忙しさにかまけて果たせなかったささやかな夢に、今夏はいよいよ近づいてみようとおもっています。

2018年4月15日日曜日

梅屋潔 『福音を説くウィッチ』

文化人類学者の梅屋潔さんが、このほど700頁を優に超えるモノグラフの大作を発表されました。

梅屋潔 『福音を説くウィッチ
     -ウガンダ・パドラにおける「災因論」の民族誌』
                風響社、2018年2月20日発行。

20年間におよぶ研究の集大成にあたる渾身の一書。
梅屋さんがフィールドで長らく寄り添ってこられた、或る論理の根(ね)にひそむ強度が、行論の端々から直感されるような作品です。災因論にかかわる新たな必読文献の登場。

2018年4月12日木曜日

柳沢史明 『〈ニグロ芸術〉の思想文化史』

美学芸術学、近現代芸術史の研究者、柳沢史明さんが、〈ニグロ芸術〉に関する研究書を刊行されました。

柳沢史明  『〈ニグロ芸術〉の思想文化史
         - フランス美術界からネグリチュードへ』               水声社、2018年3月30日発行。

「本書が試みているのは、「ニグロ芸術」という呼称と概念が形成され、変容することになる思想的背景と具体的な思想、そして変容の歴史に関する分析である。[…] この用語が帯びてきた歴史的イデオロギーと文化政治的位置を分析し再検討することで、歴史に埋もれた一つの文化事象に光を当てつつ、その反射した光を通じ反省的に二〇世紀の芸術文化と文化政治的な潮流とを解釈し直す試みとなることを目指している。」                                 (本書 「序章」より)

柳沢さん、
ご研究の成果から大いに学ばせていただきます。
ありがとうございました。

2018年4月9日月曜日

ピエリア2018 エッセイほか

東京外国語大学出版会の広報誌『ピエリア』最新号
(2018年春号)が、発行されました。

今年は、 「ことば~感情~からだ」というテーマで、特集が組まれています。

わたしは、以下の小文を寄せました。

真島一郎 「一日物云はず蝶の影さす」 (テクストリンク)

また、例年どおり、出版会編集長としての短文も、
あわせて巻末に記しました。

真島一郎 「設立十周年にむけて」

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小文といえば、 以下の新刊書にも、コラムを書きました。

真島一郎 「コラム 山口昌男(1931-2013)」
    岸上伸啓 編 『はじめて学ぶ文化人類学- 人物・古典・
    名著からの誘い』ミネルヴァ書房、pp. 132-133、
    2018年4月30日発行。

2018年4月8日日曜日

春学期 2018

à la Guinée-Bissau  (juillet 2010, i. majima)
先週からはじまった新年度春学期で、わたしは
下記の講義・演習を担当する予定です。


月4 院修士演習
   Annual Review of Anthropology 過去5年分    の主要掲載稿読解
月5 院博士演習 バタイユ読解Ⅲ
  「ヒロシマの人々の物語」「実存主義から経済    の優位性へ」 から、『至高性』(=『呪われ     た部分:普遍経済論の試み』第3巻)へと
    精読を進める。

火3 学部講義 (選択科目)
                                            現代世界における主体の問題系
                                      火4 学部3年ゼミ
                                       火5 卒論ゼミ

水2 修論ゼミ
水3 リレー講義   「世界と出版文化」(初回講義&運営担当)
水6 リレー講義   「原初的叛乱者たちの系譜2018」(4月11日から連続4週を担当)

2018年4月4日水曜日

C.G.S. 2018

そろそろゼミ選択の時期をむかえようとしている新2年生のみなさんにむけて、現代世界論コースでは、
今年も教員オススメのブックガイドを作成しました。

『C.G.S. 2018  -現代世界論コースで学ぶための本&映画ガイド 2018年版』

今年度版で、わたしは「あとがき」も担当しました。

この小冊子は、下記の説明会で配付します。
ぜひご来場ください。

現代世界論コース説明会

日時: 4月25日(水) 11:50-12:30

場所: 研究講義棟2階 227教室

2018年3月19日月曜日

キテキテ府中 FUCHU WORLD FESTIVAL

地元府中市によるイベント
「キテキテ府中」に、TUFSCinema進出!

昨年10月に外大キャンパスで開催して
たいへんな好評を得た『アフリカ ユナイテッド』を、
キテキテ府中の«FUCHU WORLD FESTIVAL»で
再上映することになりました。

予約不要、先着284名、入場無料!
Venez nombreux!

日時: 2018年4月1日(日) 18:30開場、19:00開映

場所: 府中市市民活動センター「プラッツ」バルトホール
     (ル・シーニュ5階)

上映後、小田マサノリさん & 真島によるフリートーク有

詳細は → https://tufscinema.jp/180401-1/
     → http://machidukuri-fuchu.jp/kitekitefuchu/
     → https://www.fes-info.com/fuchu-world-fes




  アフリカ・ユナイテッド予告篇 ↓(4月1日の上映会では日本語字幕が付きます) 




【参考】↓ 昨年10月に外大で上映したさいの会場配付資料