2018年2月27日火曜日

上村忠男 『ヘテロトピアからのまなざし』

上村忠男先生の五冊目の批評論集が刊行されました。

上村忠男 『ヘテロトピアからのまなざし』未來社、
                     2018年2月20日発行。

年代としては2012年以降に発表された批評の集成ですが、とくに第Ⅳ部の論考群が、人類学的思考にとってのヒントをふんだんに含んでいるように思いました。
とはいえ、第Ⅰ部のヘテロトピア論も、第Ⅱ部のソレル、アガンベン論も、第Ⅲ部の沖縄論も、わたしにとってはすべてが人類学的に(とりわけ社会人類学的に)響いてくるのですが。

巻末の、5年分におよぶ「ビブリオグラフィティ」も、さらなる読みへの指針としては万華鏡にちかい光を帯びていて、大いに学べます。

2018年2月24日土曜日

池田昭光 『流れをよそおう』


このブログでも以前お仕事を紹介したことのある文化人類学者、
池田昭光さんが、このたびモノグラフを発表されました。

池田昭光 『流れをよそおう - レバノンにおける相互行為の人類学』 春風社、2018年2月25日発行。

 博士論文(首都大学東京、2015年提出)をもとに上梓されたという本書は、同時に、2014年の重要な論考「流れに関する試論」でみずから示した視軸を、池田さんがあらためて丁寧に説きなおしたテクストとみなすこともできそうです。ミクロな情景にそそがれた観察眼の鋭敏さと、隣りあう他者にむけた閑かな優しさとが共存する、稀有な魅力を湛えた一書の出現です。

 宮本常一から、三木亘、堀内正樹へと連なる「非境界的思考」の系譜を、「コミュニケーション」の問題系として捉え返しながら誠実に受け継いでいこうとするときの著者の筆致は、ひときわ端正です。

「[…]三木はよく「つきあい」という言葉を用いる。ある個人が、各々の暮らしの必要性の中で、他人とどのような関係性を取りかわして生きているか。[…]三木には[…]論考で取りあげる人びとの民族的背景に共通点を持たせようという意識が全くない。一見すると相互の民族的文化的共通性のない、およそばらばらなバックグラウンドをもった人たちがゆきかう場、それ自体を浮かび上がらせようとしている[…]歴史や民族をはじめとする社会文化的なカテゴリーよりも「人間移動のカルチャー」に目を向ける姿勢には、宮本常一からの影響が表れている[…]例えば、宮本が京都の祇園へ出かけたときに、故郷の周防大島で行われる祇園祭を思い出して書いた文章[…]仲間と連れ立ってお宮へ行く。浮きたつ心で桃を買う。神輿は出るが、必ずしもそこだけに人が集まるのではない。参拝したらそれで帰宅する。特にこれという中心を抽出するのではなく、人びとの感情や行為を書きとめ、人びとの用事が済めばそれに合わせて筆を止め、それ以上の立ち入った記述をしようとしていない。ここには、読者に対して、情報を集約して祭りの全体をながめられる絵柄を提示しようという構えがほとんど見られない」

「[…おなじく三木の場合も…]「つきあい」という表現を重視していることからもわかる通り、コミュニケーションに対する着目が極めて強い。[…そして]通常、我々が社会文化的なものを把握するのに不可欠とする地名の希薄化が、書法の上ではかられている[…]個人を特徴づけ、その固有性を示すかに見える地名も、実は通過点のひとつに過ぎないかのような扱われ方をしている。むしろ、通過した先にある人びとの暮らしという、それ自体は極めてありふれたように思われる部分が強調されているのである」 (いずれも本書「第二章」より)

 たとえば、『忘れられた日本人』に頻出する、あのじつに印象的な「世間」の描写が、わたしなどには想起されるような一文です。
 ここからさらに池田さんは、「言語化しがたいものの方へと議論を展開させようとしている」堀内正樹の「対話」イメージに注目したうえで、第Ⅱ部の「より微妙なコミュニケーションの側面を論じうる事例」、すなわち「流れ」と「流れをよそおう」事例群の繊細な描写へと向かっていきます。

「流れ」とは、「他者の固定的な解釈から逃れ、自らの行為や語りによる境界の発生を避けつつ、そうした行為や語りを遂行しようとする人びとの様態」である[…]その中心となるのは「境界が露わになるのを避けること」である。宗派の違いが露わになるのを避けることや、シャッターを閉めたいとは思いながらも締めようとする素振りを見せないという現象に、こうした「流れをよそおう」行為を見出すことができるのである」(本書「第四章」より)

ジャン=ポールの挿話、アシュラフの挿話は、やはり本書の記述(法)の白眉だと強く感じました。
おすすめの好著です。

2018年2月19日月曜日

アフリカレポート 『ヤナマール』書評

à Belem (Brési)  (2012, I.Majima)
アジア経済研究所のオンラインジャーナル 『アフリカレポート』
第56号に、『ヤナマール』の書評が掲載されました。

クルギの音、にまで論評の幅を広げ、読み手としての臨場感を伝えてくださったのは、たいへん嬉しいです。

書評文は、下記URLにてオープンアクセスになっています
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2018_08.html

2018年2月14日水曜日

音にひらかれる夜想、キンシャサから


『現代思想』3月臨時増刊号に小論を寄せました。

真島一郎  「音にひらかれる夜想、キンシャサから」
『現代思想 総特集=現代を生きるための映像ガイド』
 46(4) : 136-142, 2018年2月25日発行。

このブログでも以前ご紹介した、
「私は、幸福(フェリシテ)」の評論です。

2018年2月10日土曜日

図書新聞 『ヤナマール』 書評


図書新聞 2月10日号に
『ヤナマール』の書評が掲載されました。

訳書刊行のねらいに着目された好意的な論述、たいへん光栄に存じます。