吉田禎吾先生の著書『魔性の文化誌』が、このほど講談社学術文庫として装いも新たに刊行されます。巻末に本書解説を寄せさせていただきました。
真島一郎「聖の迷宮」、吉田禎吾『魔性の文化誌』(講談社学術文庫、2026年2月10日発行)、304-313頁。
吉田禎吾先生の著書『魔性の文化誌』が、このほど講談社学術文庫として装いも新たに刊行されます。巻末に本書解説を寄せさせていただきました。
真島一郎「聖の迷宮」、吉田禎吾『魔性の文化誌』(講談社学術文庫、2026年2月10日発行)、304-313頁。
ゼミ卒業予定者による今年度の卒論発表会を昨日1月29日に開催しました。
『卒業論文集2025』所収の論文は下記9篇です。大学生活4年間の学修の集大成にふさわしい労作・力作が揃いました。みなさんどうぞ胸を張ってご卒業ください。
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「実習生」から「労働者」への移行で変わるもの - 育成就労制度移行期の日本語教育 -
静岡県島田市における交通空白への地域的対応
守護者としての責任 - 先住民マオリとパケハの軌跡 -
沈黙をほどく - 反同性愛法下を生きるナイジェリア女性の語り -
まちと共に歩む - 地域活動を通じたシビックプライドの形成 -
公の外から - ケアする民主主義からみる社会生態学 -
病いとケアの相互性 - 病者と医療専門家の苦悩に着目して -
曖昧な性を受け止める - 非二元的ジェンダー・カテゴリーへの自己同一化の限界と「自分らしさ」の可能性 -
ストリートを取り返せ!- 新宿西口・パレスチナにおける相殺活動をめぐって -
孤独から生まれたアンセム - ケンドリック・ラマーのメッセージ -
『ゼミ論文集2025』所収の論文は次の9篇です。みなさんの1年間の努力が見事に結晶しました。
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止まれない主体の病理 - 肯定性の過剰と〈立ち止まる力〉の回復
食卓へのまなざし - 食と健康をめぐる国際支援の再考
内なる他者と外なる他者 - マレー人ムスリムの事例から
切り離せないわたしたち - 永山則夫連続射殺事件から
都市を縫いなおすまなざし - ベイオール観光開発をめぐる文化編纂のポリティクス
Tadeusz Borowski 「皆さま、ガス室へどうぞ」- 被害と加害が混在する世界で
共同体を不可能にする「共同体」- ジャン=リュック・ナンシー 『無為の共同体』を読む
壁の向こうにいるあなたへ - ロヒンギャ問題から考える他者への応答可能性
あなたとわたしのいつかの自死について - シオランと他者
やはり今回もイラストにあふれる、ふつうの人びとのやさしくやわらかな顔、顔、顔。幼い読み手の眼と心に、旅の思いがきっとふかく染み渡っていくはず。
金井真紀『春をよろこぶ みんなで踊る 世界でくらすクルドの人たち』(月刊「たくさんのふしぎ」通巻492号)、福音館書店、2026年3月1日発行。
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そのうちお姉ちゃんのシェキラ(15歳)が帰ってきて、みんなでドレスの話でもりあがる。シェキラがはにかみながら言った。「ネロウズのとき、男の服を着る女の子もいるの。わたしもいつか男の格好をしてみたいな」それを受けて、イブラヒミさんが教えてくれた。「近所の村には、男だけど女のドレスを着るラハさんという人もいる。彼のインスタは人気があるよ」女は女の服を着なさい、男は男の服しかダメ、と決まっていたらきゅうくつだ。ときどきその境を飛びこえる人がいて、まわりもそれを受け止めていて、なんだかホッとする。[…]翌朝、イランを出発した。シェキラ、チロー、ヒローと「またね」のハグをしたあと、イブラヒミさんに国境まで送ってもらった。[…]わたしはリュックをかついで、歩いてイラクに入国した。国境を越えて、山道を下ること1時間半、スライマーニーヤに到着した[…]日本に住むクルド人に紹介されたおじさん[…]物知りで顔が広いジャフさんは、連日、じょうだんを連発しながら街を案内してくれた。
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「クルド人は輪になって踊るだろう? 輪は1年を表す。1年、また1年と人生は続いていくんだ」(ホセインさん)
(本書本文・さし絵より)
熊本大学構内で来月、塩田武史写真展が開催されます。会期5日目に予定されているトークイベントに、わたしもすこしだけお邪魔することになりました。作品の被写体となられたかけがえのない人びとの姿とともに、塩田武史さんの偉業を偲ぶ、たいせつな集いになるものと受けとめています。
水俣病公式確認70年を迎える本年5月1日をひかえ、作品との黙せる対話からふたたび新たな教えを学びとることができればと考えています。
視野狭窄がひどい牛島のじいちゃんは、一九四四年に熊本の郊外から茂道に住み着いた。タコ、ボラ、ナマコなどを「食いも食いよった」。
そのじいちゃんが支援者との交流会で、「私にも喋らせてハイよ」と、こんな話をした。
「わしはここに来とる者(もん)は全部、バカばっかりじゃと思う。わしがこう言うたからて腹(はら)かかんごつしてハイよ。なぜかならば、ほんにあん遠か所からわざわざ裁判ば見に来たり、名前も知らんで手紙もやらす。カンパばやらす。水俣ん如(ご)たっ所まで来て、手伝いはさす。これをバカち言うか利口ち言うか、考えてみればすぐわかる。ばってんな、わしはバカが好く。世の中はバカと利口がおるが、わしゃほんにバカが好く」。
(塩田武史『僕が写した愛しい水俣』岩波書店、2008年より)