2019年6月20日木曜日

ギンズブルグ『政治的イコノグラフィーについて』

カルロ・ギンズブルグの新たな訳書が刊行されました。

カルロ・ギンズブルグ
 『政治的イコノグラフィーについて』
  上村忠男 訳、みすず書房、2019年6月11日発行。

原書タイトルを直訳すれば『畏怖・崇敬・恐怖-政治的イコノグラフィーにかんする五つの試論』となる本書は、ギンズブルグが1999~2009年に発表した論考5篇を収め、2015年にミラノで刊行されました。

上村忠男氏の「訳者あとがき」によれば、このうち明示的には第一論考と第四論考にしか現れていないものの、図像の発揮する政治的効果をテーマとした本書の考察には、ヴァールブルク由来の概念「パトスフォルメル/情念定型」が、共通の着想源として見出せるといいます。

そのことは、著者本人による「序言」でも明示されています。生前のヴァールブルクが歳月を通じ、ほとんど強迫観念のように立ち戻っていたこの概念の最大の特質とは両義性、すなわち芸術作品で表現された情動的身振りにおける意味内容の反転(かれのいう「エネルギー論的反転」)であった。それは若き日のヴァールブルクが出会った、チャールズ・ダーウィンの著作『人間と動物における感動の表現』中の指摘-「発作的な笑いと涙のような両極端の感動状態のあいだに認められる隣接関係」、あるいはダーウィンがそのさい引用するジョシュア・レノルズの発見-「相対立する両極端の情動が、たいした違いもなく、同一の動作で表現されている」事態と、響きあう着想だったのだと。

たとえば、ホッブズの省察にみとめられる「恐怖」と「崇敬」の両義的合流。そのことを探る歴史家の視線が、『リヴァイアサン』の扉頁を飾るあの有名な図像のうちに、「病気の瘴気から保護してくれると信じられていた嘴型の仮面で顔を覆った、ペストの防疫にあたる2人の医師の、高さ3ミリメートルの肖像」(本書70-71頁)を発見していたことには、さすがに驚かされました。
 
ヴァールブルクの思考に、パトスフォルメルへの欲動/からの強迫がたえず伏在していたとすれば、以前にもこのブログでふれた『蛇儀礼』のうち、その際にはふれなかった別の一節が想起されてきます。

「民俗学をやりながら、おもしろおかしいものに笑ってしまう人は、間違っています。そういう人には、まさにその瞬間に、悲劇的要素を理解する可能性が閉ざされてしまうのです」
                              (三島憲一訳、岩波文庫版 37頁)

2019年6月5日水曜日

友常勉『夢と爆弾』

思想史研究の友常勉さんが、このほど新著を発表されました。

友常勉『夢と爆弾-サバルタンの表現と闘争』
           航思社、2019年5月31日発行。

本書は、著者が2012年以降に発表した論考群に、書き下ろしの考察2篇を加えた論集です。

「二〇一二年に河出書房新社から『戦後部落解放運動史 永続革命の行方』を出版したとき、その終章で、私は以下のようなことを書いた。資本制社会を相対化するために、さまざまなマイノリティと底辺労働者との出会いをこちらからつくる必要があると。そのとき念頭にあったのが寄せ場の労働運動であり、アンダークラスの闘争であった。本書に収録したテキストのテーマはそれぞれ異なっているが、そのなかで私が追求してきたのは、上記のことに尽きる」                    (本書あとがきより)

いずれも凝縮された密度からなる論考群の集成に、おもわず息を呑むような感覚をおぼえます。各論に言及のある、船本州治、桐山襲、出口なおといった固有名については、かねて立ち止まって熟考してみなければと思ってきた主題であり、また、大道寺についてはとくに収監後の辺見庸との交流を、高橋和巳については上原康隆が生前アパートに所持していた数少ない書物のひとつに『孤立無援の思想』があったことを、以前からどう捉えるべきか思いあぐねてきたところがあります。それだけに、本書からは多くを学ぶことができるように予感します。昨年6月にコメンテーターとして参加させていただいた、井上康・崎山政毅『マルクスと商品語』合評会(本ブログ掲載)におけるマルクス価値批判論のさらなる再考の契機も、本書から得られればと考えています。