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2026年6月14日日曜日

浜本汀 著『石ひとつ置くこと』

 

浜本汀(はまもと なぎさ)さんは、生まれ故郷の天草で小説を創作されながら、からゆきさんの隠された歴史を足で調べ、考えている、若き文筆家です。 熊本大学の文化人類学者、香室結美さんからのおたよりで浜本さんのことを私が知ったのは、つい2か月ほど前のこと。ネット通販が始まるのを待って、浜本さんのZINE 『石ひとつ置くこと』をさっそく購めました。一読、端正で繊細な筆致に、冒頭から魅了されていきます。〈石〉と〈水〉という忘れがたい対位法の思考が、ある切実な記憶の問いを訴え、掘り下げながら、同書所収のエッセイ四篇と小説一篇を閑かなリズムで貫いている。書き手のそうした声の連なりを聴き終えたとき、じつに重い問いが読み手へ渡されたことが、体でじかに感じられました。三觜咲さんの表紙イラストも喩として絶妙。

   

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目の前の、水に流されそうになっているたったひとりの声を聞いて、

できるだけまっさらにうけとめようと努めて、

心のなかに、ちいさな石ひとつ、置く。

覚えておくために。

大きな水の流れに抗うために。 

(同書所収、第四エッセイ「石ひとつ置くこと」より)

      https://note.com/nagisa_hama/n/n791382143461

2026年4月11日土曜日

水俣からあなたへ

 

運動体「水俣・写真家の眼」プロジェクトの編集により、わたしたちの過去と未来にむけて計り知れない力をひめた歴史的な写真集が刊行されました。「対象:中学生から大人まで」という読み手の想定枠、そしてなにより24万点超の作品から厳選に厳選を重ねて〈あなた〉の瑞々しい感性に届けられる89点の作品には、「手渡す」という人間の本来的な営みに寄せた、ある格別の思いが込められているはずです。

一般社団法人 水俣・写真家の眼 

『水俣からあなたへ-9人の写真家が見つめた水俣病の70年』 リトルモア、2026年4月15日発行。

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[水俣・写真家の眼] 芥川・仁(あくたがわ じん)、石川武志(いしかわ たけし)、北岡秀郎(きたおか ひでお)、桑原史成(くわばら しせい)、小柴一良(こしば かずよし)、塩田武史(しおた たけし)、アイリーン・美緒子・スミス(あいりーん みおこ すみす)、田中史子(たなか ふみこ)、宮本成美(みやもと しげみ)

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汚(よご)された海は埋(う)め立てられ、広い公園になった。

海にいた魚や貝はどこへ行ったのだろう。

 

人間はこれからどう生きていくのだろう。

 

水俣(みなまた)からあなたへ。

 

 

 

 

 

 

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「水俣(みなまた)・写真家の眼」は、1960年から水俣を撮影(さつえい)してきた9人の写真家たちが集まり、発足した団体です。9人の写真家は、水俣と向き合ってきた時期も、撮影の目的や方法もそれぞれ異なります。[…]そんな9人の24万点を超(こ)える写真を人類の財産として未来に手渡(てわた)すため、「水俣・写真家の眼」は様々なプロジェクトに取り組んでいます。[…]これから生きるあなたには、写真をじっくり見て、考えてほしい。[…]写真1枚1枚が、時代や写真家の意図を超え、見る人の眼差しを通して、新たな発見を生むことを期待しています。 

 

(それぞれ本書キャプション、本書「おわりに」より)

2026年1月23日金曜日

月刊たくさんのふしぎ 世界でくらすクルドの人たち


敬愛する友、金井真紀の最新作出現!

やはり今回もイラストにあふれる、ふつうの人びとのやさしくやわらかな顔、顔、顔。幼い読み手の眼と心に、旅の思いがきっとふかく染み渡っていくはず。

金井真紀『春をよろこぶ みんなで踊る 世界でくらすクルドの人たち』(月刊「たくさんのふしぎ」通巻492号)、福音館書店、2026年3月1日発行。

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そのうちお姉ちゃんのシェキラ(15歳)が帰ってきて、みんなでドレスの話でもりあがる。シェキラがはにかみながら言った。「ネロウズのとき、男の服を着る女の子もいるの。わたしもいつか男の格好をしてみたいな」それを受けて、イブラヒミさんが教えてくれた。「近所の村には、男だけど女のドレスを着るラハさんという人もいる。彼のインスタは人気があるよ」女は女の服を着なさい、男は男の服しかダメ、と決まっていたらきゅうくつだ。ときどきその境を飛びこえる人がいて、まわりもそれを受け止めていて、なんだかホッとする。[…]翌朝、イランを出発した。シェキラ、チロー、ヒローと「またね」のハグをしたあと、イブラヒミさんに国境まで送ってもらった。[…]わたしはリュックをかついで、歩いてイラクに入国した。国境を越えて、山道を下ること1時間半、スライマーニーヤに到着した[…]日本に住むクルド人に紹介されたおじさん[…]物知りで顔が広いジャフさんは、連日、じょうだんを連発しながら街を案内してくれた。

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「クルド人は輪になって踊るだろう? 輪は1年を表す。1年、また1年と人生は続いていくんだ」(ホセインさん)

(本書本文・さし絵より)

2025年11月27日木曜日

崎山多美 『フウコ、森に立て籠る』


作家の崎山多美さんがこのほど新たな長編小説を発表されました。

崎山多美 『フウコ、森に立て籠る』インパクト出版会、2025年11月25日発行。

「過去の言葉を蘇らせる。あるいはそれに別の、新たな生命を与える。決して届かぬ何かに言葉を届かせようとする絶えざる営みを繰り返す[…]崎山は、いつだって未生の言葉を産み出そうとする。言葉の森に立て籠り、未だ生まれえぬ言葉を産もうとする[…]小説『フウコ、森に立て籠る』は、崎山多美文学に親しむ者ならお馴染みの、唐突なる来訪と呼びかけによって幕を開ける。突然の来訪とそれに続く呼びかけ、それを受けた「わたし」は、それが果たして自分に対する呼びかけなのかどうかも分からぬままに応答し始める。崎山作品は、不意の呼びかけとそれに応答する「わたし」をたびたび描いてきた。「わたし」は、呼ばれたのか、呼んだのか、受動なのか能動なのか。判別不能な宙吊り状態の主体ならざる主体の「わたし」は、他者の訪れを迎え、他者に迎えられ、不透明なままでともにあろうとする。崎山は、自律と他律の間を揺れ動く蠢く生の有り様を綴り続けてきたとも言えるかもしれない」

               (渡邊英理さんの巻末解説「崎山多美、言葉の森に立て籠る」より

2025年2月28日金曜日

国境廃絶論

外大同僚の梁英聖さんが、たいへん重要な一書を共訳にて公刊されました。

グレイシ・メイ・ブラッドリー&ルーク・デ・ノローニャ著『国境廃絶論ー入管化する社会と希望の方法』[梁英聖・柏崎正憲訳]岩波書店、2025年1月21日発行。 

「[…]本書が批判するシティズンシップ闘争が欧米諸国の市民社会で勝ち取った反レイシズム規範も、それが国家に制定させた公的な反レイシズム法制や政策も、日本にはそれらさえ存在しないということ[…]二重国籍容認も非市民の地方参政権容認も差別禁止法・多文化主義政策もない日本社会で、欧米的な反レイシズムの限界を国境廃絶によって批判しようとする本書の議論を、どのようにして役立てたらよいのか[…]問題は規範よりも廃絶の次元である。二〇世紀に反レイシズム闘争が規範の一定の成立や国家の法律・政策の制定を実現する一方で、国境、監獄、警察のようなレイシズムのシステム廃絶には至らなかったという積み残した人類の課題を、本書の国境廃絶論は根本からやり直すよう迫っている。そのような廃絶闘争の過程のなかで、反レイシズム規範も、レイシズムという概念も、刷新と再生を余儀なくされることだろう[…]二〇世紀的な国民国家や欧米的な反レイシズム規範に頼るのではなく、一九世紀的な廃絶民主主義に学び、私たちはシステム廃絶の反レイシズムを新たに創出しなければならないのであろう。日本という多くの困難を抱えた地において、本書はこの普遍的課題に取り組むための大きな手がかりとなるはずだ」(本書「日本の読者のための解題」より)

2025年2月14日金曜日

現実化しえないもの


上村忠男氏による最新の訳書が刊行されました。

ジョルジョ・アガンベン『現実化しえないもの ー 存在論の政治に向けて』[上村忠男訳]みすず書房、2025年2月17日発行

[…]哲学は完全に現実的なもので、そのかぎりで現実化できない可能性である[…]可能的なものと現実的なもの、本質と現実存在を区別すること[…]アリストテレスに始まる「可能態(デュナミス)から現実態(エネルゲイア)へ」という存在論の長い系譜学、および哲学と政治における分節化の過程[…]西洋文明のパワーの源は、この「存在論的マシーン」の中に在った。だが不断の現実化は、現実の根底的な否定でもある[…](本書裏表紙紹介文より)

2024年11月26日火曜日

カリブ海序説


 このほど中村隆之さんが共訳にてグリッサンの『カリブ海序説』日本語訳を公刊されました。長く待ち望まれてきた一書です。

エドゥアール・グリッサン著『カリブ海序説』[星埜守之・塚本昌則・中村隆之訳]インスクリプト、2024年11月10日発行。 


「グリッサン思想のエッセンスを示す代表作完訳!   全篇を覆う危機意識、はるかに展望される独立への眼差しー。カリブ海のフランス海外県・マルチニックにあって、その歴史・社会構造・言語・人々の心性のありようを、厖大な言説を収集しつつ明らかにし、主体的な民衆にょる自立を訴求する。世界各地で民の抵抗が無化されつつある現在をも問いに付す大著」(本書帯より)

2024年6月13日木曜日

石の声は聴こえるか

数年前にシンポジウムでご一緒させていただいた小説家の崎山多美さんがこのほど新たな評論・エッセイ集を刊行されました。

崎山多美『石の声は聴こえるか』花書院、2024年5月15日発行。

 

「水と闇、というつかみどころのない茫洋たる存在が、シマの記憶を誘う契機として切り離しがたくある、と気付かされたのは、じつは小説を書くことを意識しだしたころだった。私が、書く、という表現行為に生きるよりどころを求め、その書くためのよりどころが、生まれ落ちて十四年間を過ごしたあのシマの生活で私の身体を四六時中満たしていた水と闇をふりかえることにあった、ということ。[…]ここずっと、石の佇まいが気になってしかたがない。[…]私は、石の声を聴きたいと願っている。なぜひとびとは、石や岩という硬質な自然物に命の物語を託すのか。[…]失われてしまった命を想うこと。膨大な視えない命の層の一点に、己が在ることへの不可思議さ。この世もあの世もなく浮遊する魂を想像すること。この声を聴くために耳を澄ませること……。塊になって地表にへばりつく石は、なにを語ろうとしているのか。ヒトは、その声を聴くことができるのかー。」(表題エッセイより)

2021年5月5日水曜日

群蝶論

 物を考える時間がつかのまとれた連休中、俊英の手になるみごとな論考に出遭いました。今学期金曜3限の博士演習に参加されている黒沢さんの作品です。

黒沢祐人 2021「群蝶化するゴゼイ/ゴゼイ化する群蝶-目取真俊「群蝶の木」における〈群生〉する身体と変形」『社会文学』53:160-173. 

 「[…]身体部位の接触を矢継ぎ早につなぎ合わせることで、あくまでも人称的な帰属を不明確なままにしながらゴゼイの身体感覚を探る語り[…]ゴゼイの預かり知らぬところで、その〈声〉は義明の生に浸透し[…]「群蝶の木」では、このような、いわば出会いのない出会いとでもいうべき特異な交流が、物語の展開において重要な鍵になっていた[…]同じ場にいながらも決して重なりあうことのない内面世界を生きるもの同士の実践が輻輳化する事態を語る物語[…]ゴゼイの自己実践と義明の行動は、相互理解可能な同一の地平に生じるものではない。だが、明らかに互いの生に浸透している。「出会いのない出会い」とは、このように互いの実践が、あくまでも別々の実践として、しかし時にはその実践を可能とする前提を与え合うというような、共通の目的をもたない偶然の協働を可能にする交錯の謂であった」(pp.164-168)

2021年3月17日水曜日

世界のおすもうさん

 世界のおすもうさん、堂々刊行。

敬愛する和田静香さんと金井真紀さんが、一昨年から昨年にかけて「web岩波 たねをまく」に連載してきた名文の数々が、このたび一書として刊行されました。

和田静香 金井真紀   『世界のおすもうさん』岩波書店、2021年3月17日発行。

「世界から集まった少年力士たち、女相撲の大横綱、高校の女子相撲部、スーパーマーケットを切り盛りする力士たち、沖縄角力の猛者、韓国シルムのプロ選手、モンゴル相撲の闘う人類学者… …。相撲を愛するスー女(相撲女子)2人が出会ったのは、生まれた場所も性別も年齢もバラバラ、だけど一途に相撲を愛し、相撲と生きる「おすもうさん」たちだった!」(表紙袖の案内文より)

和田さんが「終わりに」のしょっぱなにギュッと凝縮して放ったつぎの一文に、お二人の/との繋がりをあらためてズドーンと感じました。

 「金井真紀さんと池袋で沖縄に連帯するデモを歩いて相撲の本をつくろうと盛り上がってから、私たちは何度か相撲会議を開いた。早朝、国技館前で当日券販売に並ぶ人の列に取材して、その帰り道。「今から会わない?」と誘い、まだ寝起きの金井さんが飛んできてくれたり。杉並区の高円寺から阿佐ヶ谷まで、当時の安倍首相に対する抗議デモを相撲ファンの知人と私が歩いて、帰りに阿佐ヶ谷の立ち飲み屋でワイワイするうちに[…]」

金井さん、はるばる府中キャンパスまで新刊を届けに来てくださって、ありがとうございます。世界のこの難場(なんば)を乗りきったところで、またゴールデン街にぜひお誘いください。

2020年1月7日火曜日

香港の現在(いま)へ


 





香港の現状を深く思考するうえで重要な位置づけをもつ論集が、昨年末に刊行されました。

倉田徹・倉田明子 編
『香港危機の深層 - 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』 東京外国語大学出版会、2019年12月27日発行。

これをうけて今月13~15日の3日連続で、注目すべき下記関連イベントが本学にて開催される予定です。同僚の倉田明子さんが昨年7月時点で下支えされた学生主体の緊急集会については、以前このブログでも紹介しましたが(2019年7月6日付記事)、今回の企画はそのひとまずの集大成になるものと期待しています。研究講義棟1階ガレリアで同時開催予定の、初沢亜利さんによる写真展の準備作業に、私も今日、一瞬だけお手伝いにうかがいました。初沢さん、手ずからの準備作業、ありがとうございます!

◆2020年1月13日(月・祝)
『香港危機の深層』出版記念シンポジウム
「香港危機に終わりはあるのか?」
 13:00~17:30
 プロメテウスホール(一般公開、無料、事前登録制)

◆2020年1月14日(火)
 特別授業「香港危機の深層の読みとき方」
  17:45~19:30
  227教室

◆2020年1月15日(水)
 TUFS歴史・地域研究セミナー
「“情報戦”から考える香港」
 17:45~19:30
 427教室




2019年12月6日金曜日

『初期社会主義研究』第28号

毎度読むのを楽しみにしている『初期社会主義研究』の最新号(第28号)を、このほど落手。

前号(第27号: 特集 ロシア革命100年)以来、
約2年ぶりの最新号刊行であるだけに、
一書が厚く、読みごたえありの予感。

「特集 〈マイノリティ〉と〈差別〉」 
 論考8本掲載。

2019年9月1日日曜日

『世界』 特集- アフリカ 人々が変える大陸

先日、金井真紀さんの巻頭イラストについて紹介した『世界』9月号を手に取りました。 同号には、特集のひとつとして、今日のアフリカをめぐる価値ある論考5篇が掲載されています。うち1篇は、ニャムンジョのウブントゥ論。

フランシス・B・ニャムンジョ(梅屋潔 訳)
「アフリカらしさとは何か-ウブントゥという思想」『世界』924:184-196、2019年9月1日発行。

「ウブントゥイズムは、他人の人間性を損なうようなことをする人は、たとえ一時的に完全だと思われたとしても、実は完全ではないのだということを私たちに教えています。人間がそれ自体では不完全だという認識をもたらすのです。では、このウブントゥイズムの考え方がみんなに成功をもたらし、社会的に異質なものを包みこむことができるのはいつでしょうか[…]関係にもとづいて何かを求められたときに、どこまで真剣に考えるべきであり、どこからであれば無視してもいいのでしょうか[…]私がここで考えてみたいのは、アフリカの移民と残された家族や友人との間の緊張関係なのです」。

問いを掲げたうえでニャムンジョが語りだすのは、トーゴ出身のサッカーのスター・プレーヤー、エマニュエル・アデバヨールの家族関係にまつわる、強烈な物語です。西アフリカのとくに都市部で生活したことがあれば、経済的に多少とも成功した隣人の暮らしを不断にさいなむ家族の関係性が、悪夢のように規模を極大化させたこの事例。

「この話は完全にアデバヨールの視点、つまり狩る側ではなく狩られる側の視点から語られていますから、彼ほどの人が、なぜ家族の略奪のなすがままになっているのか、疑問に思う人もいるかもしれません。苦労して稼いだものは自分のものだと、個人の権利を主張することはできたはずです。彼がこの一歩を踏み出さなかったのはなぜでしょうか」

「アフリカの移民の多くは、どのように、そして誰に送金するかについて、非常な注意を払っています[…]アデバヨールの例でお話ししたように彼らの多くは、一種のオポチュニズムの犠牲になってきました[…]しかしそれでも、残された家族関係や友人関係を理由に現れるオポチュニズムを、特定個人のわがままとか非倫理的行動として責め立てることには実りがありません[…]オポチュニズムの暴走を契機として[…]自分も狩られる側になりうるし逆もそうであるという狩りの本質に立ち返り、狩るものと狩られる者とを、ふたたび結びつけなければいけないのです[…]アフリカ人の移住というものは、ウブントゥ精神のもとに、変化し続ける世界のなかで本当の人間になろうとする経験の不可欠な一部である、ということ[…]」

論文に先立って訳者の梅屋さんが添えている解説文も、非常に参考になります。異なるだれかと共に生きていくという終わりのない物語のなかで、たとえ私たちが今日の世界性をめぐって「どうしたらいいのか」についての処方箋が欲しくなっても、手軽な、短絡的な処方箋など、どこにも用意されていないことを、梅屋さんはニャムンジョの人間論と繋げています。

どうしたらいいのか、の問いをすぐさま起動させずにいない「理性」の時間は、たとえば『ツナミの小形而上学』から目を背けてきた、特殊な時間論であったこと。名指しがたい何ごとかの発現を「オポチュニズム」の一言で全否定したりはしない、あらたな操行の時間を想像すること。

2019年8月12日月曜日

きらまーみーゆしが、まちげーみーらん。


岩波書店の『世界』にコラムを連載中の金井真紀さんから、原稿の陣中見舞に代えて(お心遣い恐縮です)、上の写真を添えたおたよりをいただきました。

きらまーみーゆしが、まちげーみーらん。
慶良間は見えるが、まつ毛は見えない。  『世界』2019年9月号「ことわざの惑星」

現物はまだ手元にありませんが、9月号の第二特集はアフリカで、
ニャムンジョのウブントゥ論が、梅屋潔訳で掲載されている模様。すばらしい、読みたい。

ちょうどいまEテレでカイヨワ『戦争論』の連続読解をされている西谷修さんや土佐弘之さんたちと、10年ほど前、渡嘉敷島の集団自決の跡地まで勇気をだして香を手向けに訪れた日の深夜、東シナ海の黒い海原に高々とのぼった、巨大な月輪を思い出しました。あのとき自分の睫毛は見えていたのか。今なら慶良間を通じて見えているのか。

https://www.facebook.com/NHKonline/posts/2924690027557643?comment_id=2924773520882627&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R%22%7D

2019年7月26日金曜日

『ケベック詩選集』

フランス語圏文学研究の立花英裕さんを共編訳者とするケベック詩、邦訳初のアンソロジーがこのほど刊行されました。

立花英裕・真田桂子 編訳
後藤美和子・佐々木奈緒 訳
『ケベック詩選集-北アメリカのフランス語詩』
          彩流社、2019年6月24日発行。

「ケベックの詩に自然への賛美や恐れはあるが、単純な花鳥諷詠の文学ではない。18世紀中葉からイギリスの植民地支配下に服するようになり、1839年にイギリス政府に提出された有名なダラム報告書で「歴史も文学ももたぬ民族」と侮蔑されたフランス系カナダ人は、たえず未来への漠とした不安にとらわれてきたし、自分たちにどのような意味づけをしたらよいのかという、根源的な問いを発してきた。ケベックの詩に死者への拘り、記憶への執着が目立つのは、そうした植民地状況と密着している」

「ケベック詩には内向的・内省的な性格があるが、愛国主義的な系譜もある。むしろこちらの方が、ケベック詩の原点だと言わなくてはならない。この愛国的な潮流は総じてカトリック色が強いが、同時に、喪失を嘆く詩でもある。ケベックの愛国主義は、挫折を味わった人々の土地への愛着に根ざしている[…]クレマズィやフレシェットの流れを汲む愛国的な詩が脱宗教化し、それがネリガンの創始した叙情詩と融合したとき抵抗の詩が立ち上がり、「静かな革命」期の高揚へと向かっていく[…]「ケベック」を発明したのは詩だと言っても過言ではない」
                        (いずれも立花氏による「訳者あとがき」より)

本書は、ローラン・マイヨとピエール・ヌヴーが編んだケベック詩の代表的なアンソロジー『ケベック詩-その起源から現代まで』(2007年版)を底本としながら、そこには収められていない詩人の作品も新たに加え、総勢36人の詩作を訳出した労作です。今夏、味読をおすすめします。

2019年6月20日木曜日

ギンズブルグ『政治的イコノグラフィーについて』

カルロ・ギンズブルグの新たな訳書が刊行されました。

カルロ・ギンズブルグ
 『政治的イコノグラフィーについて』
  上村忠男 訳、みすず書房、2019年6月11日発行。

原書タイトルを直訳すれば『畏怖・崇敬・恐怖-政治的イコノグラフィーにかんする五つの試論』となる本書は、ギンズブルグが1999~2009年に発表した論考5篇を収め、2015年にミラノで刊行されました。

上村忠男氏の「訳者あとがき」によれば、このうち明示的には第一論考と第四論考にしか現れていないものの、図像の発揮する政治的効果をテーマとした本書の考察には、ヴァールブルク由来の概念「パトスフォルメル/情念定型」が、共通の着想源として見出せるといいます。

そのことは、著者本人による「序言」でも明示されています。生前のヴァールブルクが歳月を通じ、ほとんど強迫観念のように立ち戻っていたこの概念の最大の特質とは両義性、すなわち芸術作品で表現された情動的身振りにおける意味内容の反転(かれのいう「エネルギー論的反転」)であった。それは若き日のヴァールブルクが出会った、チャールズ・ダーウィンの著作『人間と動物における感動の表現』中の指摘-「発作的な笑いと涙のような両極端の感動状態のあいだに認められる隣接関係」、あるいはダーウィンがそのさい引用するジョシュア・レノルズの発見-「相対立する両極端の情動が、たいした違いもなく、同一の動作で表現されている」事態と、響きあう着想だったのだと。

たとえば、ホッブズの省察にみとめられる「恐怖」と「崇敬」の両義的合流。そのことを探る歴史家の視線が、『リヴァイアサン』の扉頁を飾るあの有名な図像のうちに、「病気の瘴気から保護してくれると信じられていた嘴型の仮面で顔を覆った、ペストの防疫にあたる2人の医師の、高さ3ミリメートルの肖像」(本書70-71頁)を発見していたことには、さすがに驚かされました。
 
ヴァールブルクの思考に、パトスフォルメルへの欲動/からの強迫がたえず伏在していたとすれば、以前にもこのブログでふれた『蛇儀礼』のうち、その際にはふれなかった別の一節が想起されてきます。

「民俗学をやりながら、おもしろおかしいものに笑ってしまう人は、間違っています。そういう人には、まさにその瞬間に、悲劇的要素を理解する可能性が閉ざされてしまうのです」
                              (三島憲一訳、岩波文庫版 37頁)

2019年6月5日水曜日

友常勉『夢と爆弾』

思想史研究の友常勉さんが、このほど新著を発表されました。

友常勉『夢と爆弾-サバルタンの表現と闘争』
           航思社、2019年5月31日発行。

本書は、著者が2012年以降に発表した論考群に、書き下ろしの考察2篇を加えた論集です。

「二〇一二年に河出書房新社から『戦後部落解放運動史 永続革命の行方』を出版したとき、その終章で、私は以下のようなことを書いた。資本制社会を相対化するために、さまざまなマイノリティと底辺労働者との出会いをこちらからつくる必要があると。そのとき念頭にあったのが寄せ場の労働運動であり、アンダークラスの闘争であった。本書に収録したテキストのテーマはそれぞれ異なっているが、そのなかで私が追求してきたのは、上記のことに尽きる」                    (本書あとがきより)

いずれも凝縮された密度からなる論考群の集成に、おもわず息を呑むような感覚をおぼえます。各論に言及のある、船本州治、桐山襲、出口なおといった固有名については、かねて立ち止まって熟考してみなければと思ってきた主題であり、また、大道寺についてはとくに収監後の辺見庸との交流を、高橋和巳については上原康隆が生前アパートに所持していた数少ない書物のひとつに『孤立無援の思想』があったことを、以前からどう捉えるべきか思いあぐねてきたところがあります。それだけに、本書からは多くを学ぶことができるように予感します。昨年6月にコメンテーターとして参加させていただいた、井上康・崎山政毅『マルクスと商品語』合評会(本ブログ掲載)におけるマルクス価値批判論のさらなる再考の契機も、本書から得られればと考えています。

2019年5月21日火曜日

友松夕香『サバンナのジェンダー』

若き人類学者、友松夕香さんが、ガーナ北部での長期のフィールド経験にもとづく大作の民族誌をこのほど発表されました。

友松夕香『サバンナのジェンダー:西アフリカ農村経済の民族誌』明石書店、2019年3月31日発行。

「[…]女性たちの苦難は、女性の周縁化、女性の従属、資源配分の男女格差、貧困の女性化など、男性との対比で概念化されてきた。開発政策の議論の場でも[…]「途上国」の「女性」は支援を受け続けるカテゴリーとしての地位をすっかり確立してきた[…とくにアフリカ各地の農村部の]女性たちは耕作技術の指導から、資金の提供、そして、プロジェクトを通じて土地の再配分を受ける対象となってきた[…]数多くの研究が表面的な事実を積み、既存の定説を繰り返し再確認しても、そこからは暮らしの「内側」の男性と女性の生計関係は見えてこない。また、実態の複雑さを強調する少なからぬ研究も、その具体的な中身を伝えることなしには、政策の議論の場に熟議を生みだしてはこなかった」

「過去一世紀、アフリカ各地の農村部をとりまく環境は大きく変化してきた。男性と女性の日々の暮らしにおける関係性も、この変化にともない大きく変容してきた。しかし、そのあり方は、開発政策の議論で想定されてきたように、近代化を通じて女性が生産者としての地位を失い、 周縁化したとして一様に結論づけることはできない。また女性たちの暮らしは決して楽ではなくても、その問題の所在は男女の権力関係に着目する視点だけで理解できるような単純なものではない。そして、今日の「国際社会」で揺るぎない価値として主張されている「ジェンダー平等」を促進するための女性への支援は、そこで想定されているような女性たちの福祉(ウェルビーイング)の向上につながるとはかぎらない」            (いずれも本書序論より)

問題の所在に長く向きあってきた表現者に特有の、注意深さと力強さを併せもつ重要な指摘を試みたのち、著者は三部構成で、ガーナ北部の農村経済の現在(いま)を細密に説き明かしていきます。第一部は、アフリカの農村部の女性を支援する前提となってきた「女性の周縁化」論を再考する目的にあてられ、つづく第二部と第三部では、土地や樹木、労働力など、農村部での日々の生活に必要な資源の配分様態と作物分配の実践の場をふまえて、資源配分における男女間の差異を女性の従属に関連づけたり、女性や世帯全体の福利の低下に結びつけてきた議論が問い直されていきます。

西アフリカ民族誌学の21世紀に、重要なモノグラフが登場しました。

2019年5月14日火曜日

太田至・曽我亨 編『遊牧の思想』

アフリカの牧畜社会をフィールドとする人類学者が、新たに重要な論集を刊行しました。

太田至・曽我亨 編『遊牧の思想-人類学がみる激動のアフリカ』昭和堂、2019年3月30日発行。

「アフリカの遊牧民に魅せられた人類学者によるアンソロジー。彼らに惹かれる最大の理由は、その「ブレない生き方」。現在をさまざまな困難に直面する私たちにとって、同じように激動の時代を生きる遊牧民の思想は、どんな意味をもつのか。読者とともに考えたい」(本書表紙裏リード文)

若手研究者と並んで寄稿した本書の主要執筆陣は、これはという圧巻の顔ぶれ。今日のアフリカに生じた激動を目の前の現実として着実に捉えようとする基本姿勢もさることながら、状況に正対する牧畜民の「ブレなさ」こそ、本書から学びうる重要な思想の核となるはずです。たとえばそれは、伊谷純一郎や本書共編者・太田さんの論考により80年代から注目されてきたベッギングの社会性が、今の私たちになおも問いつづける思想として。

「[…]牧畜民の社会の文化、価値観は、基本的に農耕民である日本人のものとは、ある意味では対極にあり、非常にわかりにくい。彼らの自己肯定的で確信に満ちた生き方の秘密はどこにあるのだろうか[…]牧畜民は目の前の相手としっかり向き合う人たちである。相手の言うことに耳を傾け、自分にできること、できないことをはっきりと告げる。もちろん、「物乞い」をもちこまれた相手が、いつも要望に応えられるわけではない。重要なことは、牧畜民が困っている相手に、しっかり向き合い、解決できるならば要望に応えようとすることだ」        (本書序章「遊牧の思想とは何か」より)

2019年5月8日水曜日

浜田明範 編『再分配のエスノグラフィ』

浜田明範さんをはじめとする俊英の文化人類学者が、このほど再分配を再考する論集を発表されました。

浜田明範 編『再分配のエスノグラフィ
       -経済・統治・社会的なもの』
         悠書館、2019年4月22日発行。 

「[…]経済人類学において長らく忘れられていた主題である再分配を再考するにあたって、私たちは、人類学で行われてきた議論を踏襲しながらも、対象としての再分配を拡張して捉えようと試みた。古典的に議論されてきたより小規模に行われている再分配的な実践だけではなく、所得再分配政策における富の再分配とその影響についても射程に収めようと考えたのである。この目的を達成するために、私たちは、まずは、「再分配とは集めて配ることである」というミニマルな定義を採用することにした[…]」

「[…]多様な現象を視野に入れながら、改めて再分配と集団の関係について人類学的に議論することは、「社会的なもの」に関する研究にも貢献することになりうる。[…]本書は再分配を人類学の主題として再生させるとともに、人類学の知見をもって「社会的なもの」についての議論に貢献することを目的としている」(いずれも浜田「序論」より)

本書のもとになった共同研究の中間成果が、2015年の日本文化人類学会研究大会で分科会発表として企画されたとき、私はコメンテーターとして声がけをいただきました。しかし、明日が分科会という日の夕刻、大阪の大会会場にいた私に伯父の訃報が届き、東京へ戻ることに。しかも、飛び乗った上りの新幹線が、地震の影響で途中停車&停電。午前1時にようやく帰宅し、だいたいこんな内容のコメントを、と考えていたメモをもとに、夜明けまでかけて会場代読用の完全稿を仕上げた思い出があります。鋭い問題意識をもつ共同研究にこのようなかたちであれ接することができたのを、本書の刊行にあたり、あらためて光栄に感じています。