2019年4月27日土曜日

荒井芳廣『ブラジル北東部港湾都市レシフェの地方文化の創造と再創造』

今年2月にブーレ・マルクスの訳書を手がけられた文化人類学者の荒井芳廣さんが、レシフェを舞台とする新著を発表されました。

荒井芳廣
『ブラジル北東部港湾都市レシフェの地方文化の創造 と再創造』丸善プラネット、2019年3月10日発行。

社会学者ジルベルト・フレイレ(1900-87)と文学者アリアーノ・スアッス-ナ(1927-)。

本書では、これら二人の著作家が生を送ったレシフェの都市文化について、「コミュニケーションの民衆的回路」と呼ぶべき小冊子の世界に光をあてながら多彩な論述が進んでいきます。

ただし、本書の描きだそうとする都市文化の射程には、それ以上の厚みが具わるものといえるでしょう。

ブラジルの社会研究に「フォーク・コミュニケーション」の概念が登場する以前の、20世紀戦間期に確立していくサンパウロ社会学派から、戦後1970年代の音楽グループ「キンテート・ヴィオラード」の表現世界を経て、90年代レシフェに登場するポピュラー音楽「マンゲビート」にいたるまで、研究者による思考の彫琢と都市文化の熱気との混淆ぶりが、めくるめく史実の繋がりによって説き明かされます。

「[…]作者の分身と思われるヂニスは、これら2人を前にして、A・スアッスーナがG・フレイレの「混血のイデオロギー」の後継者であることを示す思想を表明している。ヂニスにとってブラジルの歴史をつくってきたのは、ヨーロッパ人でも先住民でも黒人でもなく、混血の子孫たちである。彼が書きたかったのはこれらの人々、「栗色の貴族の民」と呼ぶべき人々を讃える神話である。この神話こそ、ヂニスを語り手として今書かれようとしている『王国の礎』そのものなのである[…]」

2019年4月21日日曜日

の、かほり

昨冬、師走のはじめに、色のない日常を和らげてくれればと購ったシクラメン。こんもり赤をつけて出荷されていたみごとな鉢は、それからクリスマスも、年越しも、余寒の時候も、次々と艶やかに咲きつづけてくれました。好みの場所から日がな動かずじっとしている家住みのネコのように、この家の風通しと日当たりをかなり気に入ってくれたのか。フフーン。
「往時」のおもかげこそなくなりましたが、四月下旬にさしかかったいまも、元気な蕾がぽつぽつ葉のあいだから現れてくる。休眠のタイミングをどうしたものか。冬の開花をめざしたチョー難関の夏越えを、ことしはクリアできるのか。嗚呼、たのみましたぞシクラメンちゃん…

「この非人称の実存は、純粋な動詞である以上、厳密に言えば名づけることはできない。動詞とは、名詞がものの名前であるように、行為の名前であるだけではない。動詞の機能は、名づけることにあるのではなく、言語を産出することにある。つまりそれは、定位され、定立性そのもののうちにある〈実存者〉たちを、その定位において、またその定立性そのものにおいて震撼させる詩の萌芽をもたらすものなのだ」 (Emmanuel Lévinas)

2019年4月16日火曜日

飛内悠子『未来に帰る-内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』

人類学者の飛内悠子さんが、スーダンでの長きにわたるフィールドワークの成果を発表されました。

飛内悠子『未来に帰る-内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』
         風響社、2019年2月20日発行。

スーダンでのフィールドワークを2007年以来継続してきた飛内さんは、南北スーダンの分離・独立を決める2011年住民投票の時もまた、フィールドにたたずみ、人びとの「動き」を静かに見つめ、やがて結実することになる本書の問いを引き出します。

「ハルツーム在住の南部人の多くは南部に行くことを選んだ。そうして辿りついた南部で彼らが見、経験したものは何であったのか。[…本書では…]ハルツームから南スーダンへと帰った、もしくは向かった人びとの状況を詳細に描き出すことを通して、人間にとっての帰郷という行動の意味を問いたい」

書き手自身の忽せにしえない希求も込めたかのような本書のタイトル、「未来に帰る」という形容の卓抜さに感銘をうけました。同一の表題を冠した本書最終章「未来に帰る」では、この民族誌にとり重要な登場人物のひとり、アベルの動向に託して、著者は記します。

「ウガンダ、ジュバ、ハルツームと移り住んできた彼はジュバに土地を持っているが、カジョケジに住むことに決めていた。[…]村にいるときは筆者が借りているトゥクルが彼の寝場所であったが、それはもともと彼の父のものであり、彼自身の家は村にはなかった。村の住人になること、家族とともに住む終の棲家を建てることは彼にとっての夢であった。それがついに成されようとしていた。[…]2015年のクリスマスには彼の家が出来る。それは間違いなく彼にとっての帰る場所、故郷である。未来に故郷は創られる。彼らは未来に帰るのである[…]人の移動は、土地の意味も変えていく。ジュバでも、かたちを変えた「ハルツーム」は生き続ける。ハルツームに生きた南スーダン人たちは、「ハルツーム」とともに未来に帰っていったと言えるのかもしれない」

未来に帰る南スーダン人にとり、このときもうひとつのポイントとなるのは、スーダンという土地におけるキリスト教の位置づけでしょう。フィールドでみずから見つめたものをこの点にひきつけて書き継ぐときも、生身(なまみ)の人間ひとりひとりの生を端正にとらえる筆致に揺れは生じません。

「ボニがキリスト教徒にとって厳しい状況が続くハルツームで暮らし続けることを決意した背景には、おそらく彼女にとってジュバがハルツームより親しみやすい場所ではなかったこと、そして彼女自身がハルツームで暮らしていくことが出来ると踏んだことがある。[…]救いの場、夢をかなえる場としてのハルツームと異郷としてのハルツームとの間に彼女はいる。このようなハルツームのあり方は、すでに南スーダンへと帰還し、ハルツームでの生活の経験を背負って生きる人びとが抱くハルツームへの思いと重なり合う。だが道は分かたれた。南スーダンで、もしくはハルツームの外で生きることを選んだ人びとと、ハルツームに生きることを選んだ人びと[…]」

問題のスーダン住民投票のゆくえを、ちょうど私はダカールで見つめていました。セネガルの国映放送から流れるスーダンの映像に、栗本英世さんの姿をみとめた瞬間を、今でも克明に憶えています。未来に帰ること。2011年初頭の時点で、それはクク人だけの夢でもなかった筈でした。

2019年4月10日水曜日

感受へとさしむける読み

東京外国語大学出版会の広報誌『ピエリア』最新号
(2019年春号)が、このほど刊行されました。

今年は、 「神話の海へ」と題した特集が組まれています。

わたしは、以下の小文を寄せました。

真島一郎 「感受へとさしむける読み」 pp. 4-5.
テクストリンク) 

今年のエッセイの道しるべとして久しぶりに何度も聴いたのは、戸渡陽太のこの一曲。出遭いは、AA研から学部大学院に移ってまもない2015年5月、新美で催されていた『マグリット展』に行ったあと、六本木をぶらついて出くわした、かれのミニ・ライブでのことでした。華やいだ街には似つかわしくない面持ちの若者がこの曲の出だしを叫びはじめた途端、雑踏が撃たれたように静まりかえった光景は、いまも克明に憶えています。MVの背景を覆い尽くすような、黄昏にさしかかる時分の薄紫の空。その薄紫こそ、当時のわたしが己れの感受をさしむけるよう誘われた神話の薄明、存在の影だったのかもしれません。

今年の『ピエリア』には、昨年度末で退任した
出版会編集長としての短文も、号末に載せていただきました。
真島一郎 「映像と書物」 p. 79.






2019年4月8日月曜日

『ダヴィッド・ジョップ詩集』

カリブ海文学研究の中村隆之さんが、このほどアフリカの詩人ダヴィッド・ジョップの詩作を編訳のうえ刊行されました。

『ダヴィッド・ジョップ詩集』中村隆之 編 訳、
           夜光社、2019年3月19日発行。

1927年にセネガル出身の父とカメルーン出身の母のもとボルドーに生まれ、セネガル独立直後の1960年に飛行機事故であまりに早く旅立ってしまったかれ、DD。

本書で中村さんは、DDが生前唯一発表した詩集『杵つき』をふくむ22篇の詩、散文として残されたテクスト4篇の訳出とあわせ、解題文にあたる「ダヴィッド・ジョップ小伝」により、表現者としてのDDが生きた1950年代西アフリカの政治状況を丁寧に紹介していきます。歴史の脈絡と、時を超えた詩の力のいずれをも、日本語の読み手に届けていくことの大切さにあらためて思いが到ります。

100頁に満たない小冊子の持ち味を活かした美しい装幀にも、味読と愛蔵への傾斜がいざなわれているように感じます。詩集『杵つき』から着想された表紙の絵は、発行人手ずからの版画とのこと。本書が第二弾にあたる夜光社「民衆詩叢書」には、既刊書としてアナキスト崔真碩の第一詩集『サラム ひと』があることを巻末の広告頁で知りました。この詩集も手に取ってみたい。

アナキストといえば、本書の「ダヴィッド・ジョップ小伝」で中村さんがふれている「消滅する媒介者」の姿もまた、かつてハキム・ベイがイメージした、TAZに明滅する表現者たちの姿ではなかったか、そんな連想が浮かびました。テクストに記される一人称たとえば「ぼく」とは、そのように記されることでテクストからたちどころに消失していく何事かすなわち事件であるとすれば。

「砂は血でできていた/そしてぼくは視ていた いつもと変わらないようなその日を」
                            (本書所収「浮浪者ニグロ」より)

2019年4月5日金曜日

春学期 2019

collection privée (i. majima)
新年度春学期で、わたしは下記演習を担当します。所属の学部長をつとめることになったため、昨年度までの「火3」も「水6」も、わたしの担当講義はなくなりますが、そのぶん、3年ゼミ・4年ゼミと、大学院の演習には、全力投球で臨むつもりです。ゼミ生、院生のみなさん、よろしくお願いします。



金2 院M演習
   近代西アフリカをめぐる歴史人類学

金3 院D演習
   バタイユ読解Ⅳ
   『無神学大全』その1 『内的体験』

金4 学部3年ゼミ

金5 卒論ゼミ


2019年4月3日水曜日

長沢栄治『近代エジプト家族の社会史』

中東地域研究の長沢栄治さんが、新たな大著を刊行されました。

長沢栄治『近代エジプト家族の社会史』
     東京大学出版会、2019年2月15日発行。

長沢さんが過去30年間にわたり発表してきた論考群からなる、家族を主題とした近現代エジプト社会史研究の集大成といえる一書。

ちょうど20年前に私も寄稿した論集『植民地経験』(人文書院)で長沢さんの描かれていた歴史の風景が、これほど広大な思考の射程を帯びたものであったことに、まず驚嘆しました。

歴史の陰翳をたたえた当時の論考「少年が見たエジプト一九一九年革命」は、本書第10章に収められています。載録にあたって章の冒頭に添えられた解説を通じ、「地域研究としての家族研究」をめぐる著者の思考においてこの論考のもつ位置づけが、今回書き下ろしの第2章「近代エジプトの家族概念をめぐる一考察」で明示されていることに、読み手は気づかされます。そして当の第2章に読みを転ずると、家族の主題が他の様々な論考のうちでさらなる展開と変奏をとげていることを、読み手は知らされる。そのようにして、おそらくは本書所収のどの論考から読み始めたとしても、長沢さんの思考の強靱な道程へと読者は自然に合流し、問題の深い所在に導かれていく構造を、この大作は秘めているように感じられました。長沢さんの家族研究における大きな里程標として、社会学者サイイド・オウェイス(1913-88)の自伝『私が背負った歴史』(1985)があったとすれば、幸運にも私は、先の論集を介してその核心部分、カイロの下町に渡る路地の光景に、早くからふれえていたことになるのでしょう。

 「[…]本書の刊行の前にオウェイス博士所縁の地を訪れようと考えた。幼少期の彼が過ごした路地(ハーラ)である。[…]二〇一八年三月、シタデル前の広場からサイイダ・アーイシャ・モスクへと続く道から、野菜売りの屋台の間を抜けてバクリー通りへと入った。自伝によれば、一九一九年革命当時に、この表通り(シャーリウ)をイギリス兵が示威行進をしたというが、自動車一台が通れるような道幅しかない。[…] 路地を後にして、オウェイス博士が通った小学校も探してみた。[…]ここでも通りがかりの教員にオウェイス博士のことを訊いてみたが知らず、またこの学校に民族主義の英雄、ムスタファー・カーメルが通ったことも知らなかった。[…]」  (本書第10章「解説」より)