2019年4月8日月曜日

『ダヴィッド・ジョップ詩集』

カリブ海文学研究の中村隆之さんが、このほどアフリカの詩人ダヴィッド・ジョップの詩作を編訳のうえ刊行されました。

『ダヴィッド・ジョップ詩集』中村隆之 編 訳、
           夜光社、2019年3月19日発行。

1927年にセネガル出身の父とカメルーン出身の母のもとボルドーに生まれ、セネガル独立直後の1960年に飛行機事故であまりに早く旅立ってしまったかれ、DD。

本書で中村さんは、DDが生前唯一発表した詩集『杵つき』をふくむ22篇の詩、散文として残されたテクスト4篇の訳出とあわせ、解題文にあたる「ダヴィッド・ジョップ小伝」により、表現者としてのDDが生きた1950年代西アフリカの政治状況を丁寧に紹介していきます。歴史の脈絡と、時を超えた詩の力のいずれをも、日本語の読み手に届けていくことの大切さにあらためて思いが到ります。

100頁に満たない小冊子の持ち味を活かした美しい装幀にも、味読と愛蔵への傾斜がいざなわれているように感じます。詩集『杵つき』から着想された表紙の絵は、発行人手ずからの版画とのこと。本書が第二弾にあたる夜光社「民衆詩叢書」には、既刊書としてアナキスト崔真碩の第一詩集『サラム ひと』があることを巻末の広告頁で知りました。この詩集も手に取ってみたい。

アナキストといえば、本書の「ダヴィッド・ジョップ小伝」で中村さんがふれている「消滅する媒介者」の姿もまた、かつてハキム・ベイがイメージした、TAZに明滅する表現者たちの姿ではなかったか、そんな連想が浮かびました。テクストに記される一人称たとえば「ぼく」とは、そのように記されることでテクストからたちどころに消失していく何事かすなわち事件であるとすれば。

「砂は血でできていた/そしてぼくは視ていた いつもと変わらないようなその日を」
                            (本書所収「浮浪者ニグロ」より)