2019年4月16日火曜日

飛内悠子『未来に帰る-内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』

人類学者の飛内悠子さんが、スーダンでの長きにわたるフィールドワークの成果を発表されました。

飛内悠子『未来に帰る-内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』
         風響社、2019年2月20日発行。

スーダンでのフィールドワークを2007年以来継続してきた飛内さんは、南北スーダンの分離・独立を決める2011年住民投票の時もまた、フィールドにたたずみ、人びとの「動き」を静かに見つめ、やがて結実することになる本書の問いを引き出します。

「ハルツーム在住の南部人の多くは南部に行くことを選んだ。そうして辿りついた南部で彼らが見、経験したものは何であったのか。[…本書では…]ハルツームから南スーダンへと帰った、もしくは向かった人びとの状況を詳細に描き出すことを通して、人間にとっての帰郷という行動の意味を問いたい」

書き手自身の忽せにしえない希求も込めたかのような本書のタイトル、「未来に帰る」という形容の卓抜さに感銘をうけました。同一の表題を冠した本書最終章「未来に帰る」では、この民族誌にとり重要な登場人物のひとり、アベルの動向に託して、著者は記します。

「ウガンダ、ジュバ、ハルツームと移り住んできた彼はジュバに土地を持っているが、カジョケジに住むことに決めていた。[…]村にいるときは筆者が借りているトゥクルが彼の寝場所であったが、それはもともと彼の父のものであり、彼自身の家は村にはなかった。村の住人になること、家族とともに住む終の棲家を建てることは彼にとっての夢であった。それがついに成されようとしていた。[…]2015年のクリスマスには彼の家が出来る。それは間違いなく彼にとっての帰る場所、故郷である。未来に故郷は創られる。彼らは未来に帰るのである[…]人の移動は、土地の意味も変えていく。ジュバでも、かたちを変えた「ハルツーム」は生き続ける。ハルツームに生きた南スーダン人たちは、「ハルツーム」とともに未来に帰っていったと言えるのかもしれない」

未来に帰る南スーダン人にとり、このときもうひとつのポイントとなるのは、スーダンという土地におけるキリスト教の位置づけでしょう。フィールドでみずから見つめたものをこの点にひきつけて書き継ぐときも、生身(なまみ)の人間ひとりひとりの生を端正にとらえる筆致に揺れは生じません。

「ボニがキリスト教徒にとって厳しい状況が続くハルツームで暮らし続けることを決意した背景には、おそらく彼女にとってジュバがハルツームより親しみやすい場所ではなかったこと、そして彼女自身がハルツームで暮らしていくことが出来ると踏んだことがある。[…]救いの場、夢をかなえる場としてのハルツームと異郷としてのハルツームとの間に彼女はいる。このようなハルツームのあり方は、すでに南スーダンへと帰還し、ハルツームでの生活の経験を背負って生きる人びとが抱くハルツームへの思いと重なり合う。だが道は分かたれた。南スーダンで、もしくはハルツームの外で生きることを選んだ人びとと、ハルツームに生きることを選んだ人びと[…]」

問題のスーダン住民投票のゆくえを、ちょうど私はダカールで見つめていました。セネガルの国映放送から流れるスーダンの映像に、栗本英世さんの姿をみとめた瞬間を、今でも克明に憶えています。未来に帰ること。2011年初頭の時点で、それはクク人だけの夢でもなかった筈でした。