2019年4月21日日曜日

の、かほり

昨冬、師走のはじめに、色のない日常を和らげてくれればと購ったシクラメン。こんもり赤をつけて出荷されていたみごとな鉢は、それからクリスマスも、年越しも、余寒の時候も、次々と艶やかに咲きつづけてくれました。好みの場所から日がな動かずじっとしている家住みのネコのように、この家の風通しと日当たりをかなり気に入ってくれたのか。フフーン。
「往時」のおもかげこそなくなりましたが、四月下旬にさしかかったいまも、元気な蕾がぽつぽつ葉のあいだから現れてくる。休眠のタイミングをどうしたものか。冬の開花をめざしたチョー難関の夏越えを、ことしはクリアできるのか。嗚呼、たのみましたぞシクラメンちゃん…

「この非人称の実存は、純粋な動詞である以上、厳密に言えば名づけることはできない。動詞とは、名詞がものの名前であるように、行為の名前であるだけではない。動詞の機能は、名づけることにあるのではなく、言語を産出することにある。つまりそれは、定位され、定立性そのもののうちにある〈実存者〉たちを、その定位において、またその定立性そのものにおいて震撼させる詩の萌芽をもたらすものなのだ」 (Emmanuel Lévinas)