2019年1月4日金曜日

謹賀新年 2019

phacochères à Tambacounda, Sénégal      @ I. Majima


明けましておめでとうございます。

みなさまにとって
今年がとても穏やかな一年と
なりますように。

2018年12月23日日曜日

TUFS Cinema プライス・オブ・フリー

アフリカ映画特集第4弾につづけて、年明け早々にTUFSCinemaのさらなる上映会を企画しました。

TUFSCinema
『プライス・オブ・フリー』

日時:
2019年1月8日(火)
 18:30上映 (18:00開場)

場所:
東京外国語大学
アゴラ・グローバル
プロメテウス・ホール

上映作品:
プライス・オブ・フリー
(2018年、アメリカ、1h32m)

上映後のフリートーク
萬宮健策(本学教員)×
小田マサノリ(現代美術家、本学非常勤講師)×
真島一郎(本学教員)

入場無料
申込不要(先着501名)

主催: 東京外国語大学
協力: FINDAS(東京外国語大学拠点南アジア研究センター)
特定非営利法人ACE
                                                     東京外国語大学学生有志
                                                    上智大学学生有志
詳しくは、https://tufscinema.jp/190108-2/
  
「児童労働がなくならないのは、貧困が理由ではない。
 政治的意志が足りないから、児童労働がなくならないんだ」

2018年12月21日金曜日

TUFS Cinema アフリカ映画特集 第4回

TUFS Cinemaのアフリカ映画特集第4回 『女を修理する男』上映会は、昨日予定どおり、満員盛況のうちに終了しました。

本編上映後には、他大学の講義を終えて駆けつけた小田マサノリさんが、サプライズゲストとして、印象的な補足情報「手の中の闇」を披露してくれました。

また、会の終了後には、国連UNHCR協会の担当の方ともお話しすることができました。UNHCRとは、今後も意義ある活動をご一緒できればと願っています。

当日の会の模様については、以下に写真付きの記事が掲載されました。
http://www.tufs.ac.jp/NEWS/trend/181221_2.html

2018年12月13日木曜日

ヴィーコ 『新しい学の諸原理 [一七二五年版]』

ヴィーコ生誕350周年にあたる今年、『新しい学』1744年版の訳者・上村忠男さんが、ヴィーコ研究の厚みをいっそう増すかたちで、このほど1725年版を完訳されました。

ヴィーコ  『新しい学の諸原理 [一七二五年版]』
   上村忠男訳、京都大学学術出版会、
                    2018年12月20日発行。

「クローチェが再評価し、さまざまな思想家に影響をあたえた『新しい学の諸原理』は、汲めども尽きぬ発想の源泉であり、詩的記号論など示唆的な多くの議論を含んでいる」                             (本書 帯より)

「[…]『新しい学の諸原理』一七二五年版と一七三〇年版および一七四四年版とのあいだには、全体の構成にかんしても大きな相違が認められる。[…]ヴィーコは、『新しい学の諸原理』一七二五年版では、その直前に計画して執筆したもののお蔵入りになってしまった『新しい学・否定的形態版』の痕跡をなおも多分にとどめていることを認めたうえで、そのような否定的な、つまりは論敵にたいする駁論的な論の進め方を否定的にとらえている。しかし、一七二五年版がそうした痕跡をとどめていることは『新しい学の諸原理』がどのような学者たちのどのような学説を論敵にして書かれたのかをうかがうのにはむしろありがたいことではないだろうか。一七三〇年版以降では極力払拭の努力がなされているだけになおさらである。[…]一七二五年に世に問われた『新しい学の諸原理』は、これをヴィーコが規定しているように第二・第三版によって代替可能な「最初の新しい学」と位置づけるよりも、それ自体独自の光彩を放つ一個の独立した著作とみるほうが妥当ではないかと思う。」                    (巻末 「解説」より) 

2018年11月24日土曜日

TUFS Cinema 女を修理する男

コンゴ民主共和国の
ムクウェゲ医師が、本年度のノーベル平和賞を受賞されたことを記念して、このブログでも一昨年ご紹介したドキュメンタリー映画
 『女を修理する男』を、
来月のTUFS Cinemaで、無料上映することが決まりました。この企画は、
国連UNHCR協会のご提案により可能になったものです。

一昨年の学内上映会では、この作品と外大生との出遭いをいちはやく実現してくださった、「コンゴの性暴力と紛争を考える会」の米川正子さん(立教大学)、そして本学同僚の 金富子さんに、2年の時を経てストックホルムより朗報が届いたいま、あらためて謝意を表したく存じます。

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TUFS Cinema
アフリカ映画特集
『女を修理する男』

日時:
2018年12月20日(木)
18:30開映(18:00開場)

会場: 本学アゴラ・グローバル、プロメテウスホール
 入場無料・申込不要(先着200名)、一般公開。

プログラム:  『女を修理する男』上映。 本編上映後、作品解説(真島一郎)あり。

作品の概要については、本学HPの下記広報ページをご覧ください。「おすすめ関連書籍」の情報も載せてあります。https://tufscinema.jp/181220-2/

 映画 『女を修理する男』日本語字幕版 予告篇

2018年11月20日火曜日

国際シンポジウム 「1968年再考」


来月12月15日・16日の
2日連続で、
国際シンポジウム
「1968年再考」
が都内で開催されます。

わたしは2日めの16日に発言をさせていただく予定です。ご関心のある方は、
ぜひご来場ください。

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国際シンポジウム「1968年再考:グローバル関係学からのアプローチ」

日時:2018.12.15~16
場所:東大本郷キャンパス

シンポ概要:
「世界が揺れた年」とも評される1968年。この時、欧米、そして日本では学生運動の嵐が吹き荒れ、中国では文化大革命が進行中だった。1960年代後半は、テレビが急速に普及し、通信衛星による世界同時中継が可能になった時期でもある。パリの学生が「我々はテレビを通じて世界とつながっている」と言い放ったのは象徴的である。1968年は、世界各地が瞬時にして繋がり、相互に連関し合う新しい時代の起点として認識され、そして記憶された。
 だが、実際のところ世界はどのように繋がったのだろうか。このシンポジウムでは、世界各地の連関性に着目するグローバル関係学の視点から、1968年の意義について検討する。また、アフリカやラテンアメリカなど、これまでの1968年論ではあまり議論されてこなかった地域にも焦点を当て、世界各地が結びつく、あるいは結びつかないメカニズムについて考えてみたい。

プログラム:
12月15日(土) 14:00-17:00(主言語は日本語)
会場:東大本郷キャンパス・福武ホール
基調講演:
 クラウディア・デリクス(ベルリン・フンボルト大)
   日本の1968年とムスリム世界の1968年-ヨーロッパの視点から
 小熊英二(慶応大学)
   「1968」とは何だったのか、何であるのか-グローバルな視点から見た日本の経験
司会:酒井啓子(千葉大)
討論者:松井康浩 (九州大)、小倉英敬 (神奈川大)

12月16日(日) 10:00-17:00
第1セッション:旧ソ連・東欧(10:00~12:00)
 加藤久子 (國學院大)
   ポーランド「三月事件」を結ぶ点と線-ワルシャワ、バチカン、エルサレム
 井関正久 (中央大)
   1968年から半世紀を経て-ドイツの場合
 松井康浩 (九州大)
   ソ連・西欧知識人の越境的連帯とその意義-起点としての1968年
司会:中井杏奈 (中央ヨーロッパ大)
討論者:藤澤潤 (神戸大)

第2セッション:中東、アフリカ、ラテンアメリカ(13:30-15:30)
 真島一郎 (東京外国語大)
   セネガルの1968年5月
 山本薫 (東京外国語大)
   レバノン小説が描いたアラブ諸国の1968年
 小倉英敬 (神奈川大)
   ラテンアメリカ1968年-:「中間層」主体の変革運動
司会:後藤絵美 (東京大)
討論者:梅﨑透 (フェリス女学院大)

総合討論(15:45-17:00)
司会:福田宏 (成城大)

2018年11月15日木曜日

晩秋の一輪



夏のはじめに入谷からきた朝顔が、おそらくはこれで最期となる一輪をきのう付けている光景にでくわしました。例年は10月初旬が見納めとなるはずのこの草が、葉をつぎつぎと落としながらもこの晩秋に。


  「なんであれかまわないものというのは単独性に空虚な空間が加えられたもの、有限でありながら、ある概念によっては限定されえないものである。しかし、単独性に空虚な空間が加えられたものというのは純粋の外在性、純粋の露呈状態以外のなにものでもない。なんであれかまわないものというのは、この意味においては、外部でのできごとである […] 外はある特定の空間の向こう側にある別の空間ではない。そうではなくて、通路であり、その別の空間に出入りするための門扉である」            («Fuori», Giorgio Agamben  上村忠男訳)