2016年12月27日火曜日

和田忠彦 『タブッキをめぐる九つの断章』

いまが偶々その季節だからでしょうか、冬の朝の、どこまでも澄んでいく冷気が緩まぬうちに、対話の深みへとひっそり辷りこんでいくにふさわしい一書かもしれません。

和田忠彦 『タブッキをめぐる九つの断章』
                共和国、2016年12月30日発行。

 『インド夜想曲』『レクイエム』などで現代イタリア文学に圧倒的な足跡を刻んだアントニオ・タブッキ。
 かれの最良の理解者のひとりにして友、そして翻訳者でもある著者が描き出す、タブッキに寄り添って歩んだ《旅》のメモランダム。
 この現実を浸食する夢や虚構、そしてその風景と記憶が、かずかずの断片のなかに浮かびあがる。
 タブッキの短篇「元気で」、そして1997年に収録されたふたりの対談を付す。             (本書帯より)

生と死の、出遭うことと別れることとのあわい、それはテクストそのものにかぎらず、手紙、写真、列車…、さまざまな霊媒を介した、夢路としての交通、あるいは語り手という名の旅人と〈自分〉との行き来を可能にする、長い歳月をかけた旅、「切ない」とのみ形容するにはあまりに奥行を展げていく謎めいた運動の謂であることを、わたしはこの書の行文をつうじあらた
                               めて確認できたように感じています。

「[…]  断片の集積から読者が読み取る のは語られた物語ではなく、作者が語り手についに語らせようとはしなかった何かなのだ […]」   (本書「三、ペソアからの航海」より)

「[…] 「ひとはある言語で忘れ、ほかの言語で思い出すことができる」 […]」   (本書「追憶の軌跡」より)

インタヴュー「物語の水平線」の冒頭で、和田氏はこうも記します。
「はじめて『インド夜想曲』を読んで、その夢うつつの世界に魅せられてから、十三、四年が経つ。その間、幾度となく作者アントニオ・タブッキ本人に会ってみたらと勧められたけれど、いつも気乗りがしなかった。たんなる一読者として、のちに訳者として、タブッキの紡ぎだす物語に寄り添っているうちに、この人には会わないほうがよいと思うようになっていた[…]」

ある個体がうみだす作品世界に魅せられるほど、作品の起源に佇んでいる筈の本人には会えなくなっていくという感覚を、かつてわたしは、アマドゥ・クルマについては局所的に、ブリュリィ・ブアブレに到っては全面的にいだき、且つその感覚の虜となっていました。「現地調査」を旨とする人類学徒として、自分はやはり病んでいるのではないかと、ひそかに悩んでいたほどです。アビジャン市内で本人と会い対話をはじめる機会をわざと何度も逃しているうちに、ブアブレはとうとう幽明界を異にしてしまいました。「ひとりの作家と過ごした時間が、時を経るごとに濃密に感じられるようになるのはなぜなのだろう」という本書冒頭の問いかけを、しかしわたしは今なお同じ問いのまま、この断章群の語り手と幾分なりとも分有していると信じます。

2016年12月15日木曜日

関根康正 他 『社会苦に挑む南アジアの仏教』

B.R. アンベードカル及びエンゲイジド・ブッディズム研究会の研究成果が出版されています。

関根康正・根本達・志賀浄邦・鈴木晋介
 『社会苦に挑む南アジアの仏教-B.R.アンベードカル
          と佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』
      関西学院大学出版会、2016年8月10日発行。


佐々井秀嶺師が昨年来日された折に、高野山大学では師を囲むシンポジウムが開催されました。そのシンポジウムで関根康正さんが読まれた講演原稿にかねてふれていたこと、また、今年に入ってからも『文化人類学』81巻2号で根本達さんが「ポスト・アンベードカルの時代における自己尊厳の獲得と他者の声」と題するすぐれた論考を発表されたこともあり、わたしにとってはたいへんタイムリーな一書となりました。

エンゲイジド・ブッディズムの社会闘争、とりわけ不可触民解放運動をつうじた、「仏教学と人類学の出会いと協働」(同書中の志賀浄邦さんの表現)について、正確な概要を知りたい方にはおすすめのブックレットです。

2016年12月12日月曜日

研究集会 「オイコノミアと「人類」学の思想」

au Brésil, août 2012 ( I. Majima)
研究分担者として参画している科研の枠組で、
おととい研究集会が開かれました。

「オイコノミアと「人類」学の思想」
(統治思想としてのオイコノミア・2016年度研究集会)

2016年12月10日(土) 11:00~17:00
立教大学6号館6303室

「研究集会」とはいえ、今回のつどいは完全なクローズドの形式で開かれ、ランチタイムをのぞく全5時間にわたり、参加者全7名が徹底的に議論を交わしました。

本科研の研究分担者ではないゲストとして、今回出席をお願いしたのは、中野佳裕さん(社会政治哲学)、松村圭一郎さん(人類学)、森元庸介さん(思想史)のお三方です。

全7名のうち5名が、質疑応答もふくめそれぞれ1時間の枠をあたえられて発言をしました。わたしは、以下のタイトルで話をしました。

真島一郎  「所有・負債・コンヴィヴィアリティ」

2016年12月2日金曜日

東京外国語大学 『アレクシエーヴィチ氏を迎えて』

先月末の28日、アレクシエーヴィチ氏への名誉博士号授与をかねて、本学で以下の催しが開催されました。

『アレクシエーヴィチ氏を迎えて』
2016年11月28日(月) 14:00-16:00
於 東京外国語大学アゴラグローバル プロメテウスホール

・名誉博士号授与式
・記念スピーチ 「とあるユートピアの物語」
・学生との対話 (司会: 沼野恭子)

アレクシエーヴィチによるこの日の記念スピーチ(というより、格調高い30分におよぶ講演) と、それにつづく学生との質疑応答には、聴衆のひとりとして奇蹟にちかいような感銘をうけました。講演内容もすばらしければ、学生の方々の質問も、すぐさまそれに応ずるアレクシエーヴィチの言葉も見事なものでした。

当日の会場で配付された資料には、
「とあるユートピアの物語」のロシア語と日本語訳が、
全文掲載されています。人間という存在自体に関わる省察を聴き手にうながさずにはいない挿話や思考が随所にちりばめられた作家の言葉に、同時通訳のイヤホンをたよりとしながら耳を傾けていて、つぎの一節にひときわ強い印象をもちました。

[…] 残酷ですが、 人間の苦しみにまさる芸術はありません。ここに芸術の闇があります。私は常に、越えてはいけない一線に近づくような資料(註: 同時通訳者の訳。配付資料の訳文では「限界点の資料」)に取り組んでいます。一対一で現実に挑むのです […]

この講演と「学生との対話」の全容が、国内のいずれかの版元から公刊されることを願うばかりです。