2014年10月2日木曜日

西谷修 『アフター・フクシマ・クロニクル』/『破局のプリズム』





































西谷修さんの、対をなす思考の書二冊が、このほど完結しました。

『アフター・フクシマ・クロニクル』 ぷねうま舎、2014年6月20日。
『破局のプリズム - 再生のヴィジョンのために』 ぷねうま舎、2014年9月25日。

両書の関係について、『破局のプリズム』冒頭につぎのような記述があります。

先にまとめた本では、「3・11」という日付で示され、文明史的には福島第一原発事故に
集約されるこのカタストロフィそのものにかかわる考察、言い換えれば破断面の露呈を
前にしての考察をまとめたが、本書にはそれによって破られ、かつ回帰して、破砕片や
粉塵や汚泥を呑み込みながら軋みを立てて噛み砕き表層を均してゆく、持続の諸相に
かかわる考察をまとめた。(同書12ページ)

持続にかかわる日本の内外のこうしたコンテクストを掘り下げるうえで、
西谷さんは、具体的に三つの指標をあげていますが、きわめて重要なそれら指標の
内実と意味については、本書に直接あたってみてください。

「3・11」とその前後に広がる「日本の内外のコンテクスト」 の重要局面が
押し寄せてきたこの時間を、私はずっとセネガルの首都ダカールで生きていました。
 ちょうど20年以上前に、コートディヴォワール西部国境の村でずっと
生きていたあいだに、世界ではベルリンの壁が崩れてソ連邦が消滅し、
日本では「昭和」と「バブル」が終わっていたように。

今回の『破局のプリズム』刊行により、
 私がダカールで暮らしていた二年という時間のほぼ全体について、
西谷さんがその間に感じ、省察されてきた過程を
パラレルに追体験できることになったわけです。

あの日の前後に、世界のべつの場所からおなじ場所を想うことが
どのような意味をもっていたのか。
各人の思考の前途にとり甚だ重要な意味をもつことは分かっていても、
「自分なりの答えを出すには、まだ相当な時間がかかるだろう」と、
これまである意味で「放心状態」を続けてきた課題に、
もはや力ずくでも近づいていかねばならない時が来たように感じています。


西谷さん、中山智香子さん、土佐弘之さんと数年前から分有してきた持続を、
今後も共同研究として続行する覚悟だけは少なくともしておかねばと…。
ひりつくように熱い討議の場など、そう滅多に遭遇できるものではないのだから。