2016年5月12日木曜日

ショインカ 『狂人と専門家』


国際演劇協会日本センター発行の
『紛争地域から生まれた演劇』最新号(第7号)を
このほど粟飯原文子さんから送っていただきました。

同誌に収められているのは、昨年末に東京芸術劇場で開催された同名タイトルのリーディング公演で対象となった戯曲三作の日本語訳です。そしてそのひとつが、何あろう、1970年代初頭のショインカの戯曲なのでした。

ウォレ・ショインカ 「狂人と専門家」(粟飯原文子 訳)
 『紛争地域から生まれた演劇』第7号、5-86頁、
                        2016年3月27日。

昨年末の公演には両日とも都合で足を運べなかった私のような者にとり、たいへんな贈り物を頂いた気持でいます。併載されている粟飯原さんの解題文「“意味”がやってくるのを待ちながら」 によれば、この戯曲は、ビアフラ戦争時に投獄されたショインカが、約2年の獄中経験から着想を得て生みだした作品とのことです。


1980年代前半にアチェベと交わした対談中で、山口昌男が、ビアフラ内戦後のナイジェリア文壇を襲った亀裂の凄まじさについて語っていたことが想い出されます。そして、渦中にあった彼の盟友、ショインカ…

「ウォレ・ショインカにはじめて会ったのは、1964年[…]イバダンにおいてである[…]町の中に「ムバリ」という[…]クラブがあった。地方色豊かな踊りや劇を上演し、芸術家たちのたまり場として使われていた。あるとき、私は同僚のレイモンド・アプソープとクラブに居た。中西部の踊りのグループのパフォーマンスを見るためであった。会が終わるとショインカがカンパを求めて聴衆の間を回り出した。私の席にも足をとめて、何か二言三言しゃべったが、何を話したのか憶えていない[…]ショインカが[…]ビアフラ戦争の最中に和平交渉を秘かにすすめて、スパイ行為の嫌疑で逮捕され、投獄されたとき、私は日本からナイジェリアに戻り調査地にあった。新聞・雑誌・ラジオの報道でショインカは袋叩きにあっていたように記憶している[…]」
(山口昌男 「ショインカとの再会」『読売新聞』
                    1987年10月15日夕刊)