熊本大学構内で来月、塩田武史写真展が開催されます。会期5日目に予定されているトークイベントに、わたしもすこしだけお邪魔することになりました。作品の被写体となられたかけがえのない人びとの姿とともに、塩田武史さんの偉業を偲ぶ、たいせつな集いになるものと受けとめています。
水俣病公式確認70年を迎える本年5月1日をひかえ、作品との黙せる対話からふたたび新たな教えを学びとることができればと考えています。
視野狭窄がひどい牛島のじいちゃんは、一九四四年に熊本の郊外から茂道に住み着いた。タコ、ボラ、ナマコなどを「食いも食いよった」。
そのじいちゃんが支援者との交流会で、「私にも喋らせてハイよ」と、こんな話をした。
「わしはここに来とる者(もん)は全部、バカばっかりじゃと思う。わしがこう言うたからて腹(はら)かかんごつしてハイよ。なぜかならば、ほんにあん遠か所からわざわざ裁判ば見に来たり、名前も知らんで手紙もやらす。カンパばやらす。水俣ん如(ご)たっ所まで来て、手伝いはさす。これをバカち言うか利口ち言うか、考えてみればすぐわかる。ばってんな、わしはバカが好く。世の中はバカと利口がおるが、わしゃほんにバカが好く」。
(塩田武史『僕が写した愛しい水俣』岩波書店、2008年より)
