2014年6月26日木曜日

J・M・クッツェー 『サマータイム、青年時代、少年時代』


たいへんな訳書がこのほど刊行されました。
クッツェーの自伝的三部作を、くぼたのぞみ氏が、優に600ページを超す渾身の訳業で
日本の読書界に一挙、送り届けてくださいました。

J・M・クッツェー 『サマータイム、青年時代、少年時代-辺境からの三つの〈自伝〉』
                          くぼたのぞみ 訳、インスクリプト、2014年6月24日発行。


たしか昨年の秋ごろのことだったと思います。

日本語訳(ハヤカワ文庫)で以前一読したときには、
あまりピンとこなかったクッツェーの『恥辱』にたいする読みが、

西成彦氏の『ターミナルライフ-終末期の風景』(作品社、2011年)に収められた
クッツェー論にふれて一変しました。

これは私にとり、ひとつの事件でした。
死をめぐる文学的想像力が光をあててきた主題群の周囲を、この数年の私は
まさに人類学徒の端くれとして彷徨ってきたともいえるからです。
個体形成論にしても、沖縄反復帰思想にしても……

そしていま、この訳書をつうじて、20世紀南アフリカに生をうけたクッツェーの
いのちそのものに近づく課題と僥倖があたえられました。

死は、そして死と繋がれた生もまた、かつて書き継がれてきたようなスタイルの伝記で
償われてはならず、自伝/反自伝の書き振りをその周囲で見守る生との隣接関係を
つうじてしか生自体として表出しないのではないかという問いが、
個体形成論の軸線のひとつでした。

 本書はきのう、郵送にて御恵存いただいたばかりですが、
 カバー写真の風景に読み手のひとりとして身を投じていくためにも、
 さっそく精読したいと考えています。

 おすすめです。