2015年8月26日水曜日

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズの想い出に

avec Doudou et Maki dans un bar a Dakar (2003)

ダカール在住の師友、
中村真樹子さんから
数日前に緊急の電話連絡をいただきました。

西アフリカが生んだ
不世出のサバール奏者ドゥドゥ・ンジャイ・ローズが、この19日、突然祖先のもとに旅立たれてしまった、との悲報でした。

ドゥドゥに初めてお逢いしたのは、1990年に東京で開催された「フェスティバル・コンダロータ」の会場でのことです。サリフ・ケイタ、モリ・カンテ、ミリアム・マケバといった錚錚たる顔ぶれが集ったこの企画で、私はモリ・カンテの専属通訳のバイトをしていました。西アフリカの長期調査を終えて帰国したばかりの大学院生で、生活費を補うために引き受けた仕事でした。サバール・オーケストラのメンバーの女性たちが、ステージ衣装を楽屋で脱いで、猛烈な勢いで体の汗をごしごし拭いてできたティッシュの山を、必死に拾い集めてはゴミ箱に入れていた記憶があります。

ドゥドゥと一対一でまともにお話ができたのは、2003年のダカールでした。
先の中村さんに顔をつないでいただいて、大学の近くのバーで、爆笑をまじえながら、とても愉しい一時をすごすことができました。

何かのめぐりあわせでしょうか。それから何年も経って外務省に出向し、在ダカール日本大使館で勤務していたとき、彼を対象とした叙勲業務で、こんどは長時間にわたるインタヴューをご自宅で何度もつきあってもらう機会が得られました。前半生のさまざまなできごとや、独立前夜、および独立後のセネガルの歩みについて、じっくりとお話を伺えたことは、私の宝物となったように思っています。

1987年の初来日の時点から、ドゥドゥがコンサートの合間をぬって、国内各地の老人ホームや障碍者施設を自らの意志で訪問し、無償で慰問公演を行ってきたことは、日本ではほとんど報道されてこなかった事実です。そのさい彼は、「サバールは人間に力と勇気を与えるから」とたえず口にしていたと聞いています。

85年間の完璧な生をみごとに全うされたあなた、ドゥドゥ。東日本大震災の急報がセネガルまで届くやいなや、大使館の弔問者受け入れ態勢が整う以前に、すぐさまプライベートで私のところまで車で乗りつけ、「このたびの震災で被災され、犠牲となった日本の方々に、まずは深く、心から祈らせてほしい」と願い出てきたのもあなたでしたね。ひとりのムスリムとして、自分がただちに行うべきと判断したその祈りを終え、閑かに去っていくあなたの後ろ姿に、私は胸を衝かれるような思いがしました。あなたの小柄な、けれどもじつに偉大な背中を、私は生涯けっして忘れることはありません。

あなたが手塩にかけて育てあげたサバールの子どもたちは、きょうも世界中で活躍をつづけています。
どうかいまは、ただ安らかにお眠りください。