2018年11月15日木曜日

晩秋の一輪



夏のはじめに入谷からきた朝顔が、おそらくはこれで最期となる一輪をきのう付けている光景にでくわしました。例年は10月初旬が見納めとなるはずのこの草が、葉をつぎつぎと落としながらもこの晩秋に。


  「なんであれかまわないものというのは単独性に空虚な空間が加えられたもの、有限でありながら、ある概念によっては限定されえないものである。しかし、単独性に空虚な空間が加えられたものというのは純粋の外在性、純粋の露呈状態以外のなにものでもない。なんであれかまわないものというのは、この意味においては、外部でのできごとである […] 外はある特定の空間の向こう側にある別の空間ではない。そうではなくて、通路であり、その別の空間に出入りするための門扉である」            («Fuori», Giorgio Agamben  上村忠男訳)