2021年1月26日火曜日

ゼミ論発表会2020

 

ゼミ3年生による「ゼミ論発表会2020」を、昨日開催しました。

今年度は、下記19篇の力作が生まれました。「自分は今、世界のどこに立っているのか」という根本的な問いを拓くために、論述対象とそれを論述する自己とのアクチュアルな繋がりを、多様な側面から掘り下げた作品ばかりです。「ばらばらでひとつ」から生まれる個性豊かなチームワークが、ディスカッション1年分の積み重ねを経て、実を結びました。

「ボツワナのCKGR問題-開発をめぐる人類学的思考の可能性」

「承認と尊敬・敬意の欠如-子どもの貧困をルース・リスター『貧困とはなにか』から考える」

「キャラヴァンに繋がる生-マヌーシュの身体と穢れ・性・弔い」

「「普遍的な科学」の瓦解-B.ウォーフの言語観が教えてくれること」

 「遠きにありて想ふこと-ブラジル移民佐藤念腹の俳句」

「「問題のある」母親たち-メキシコにおける母性の分断とオポルトゥニダデス」

「「人民相互の情誼」の行方-恤救規則の成立と養育院」

「語ることについて語るときにわれわれの語ること-『存在の彼方へ』における《le dire》概念」

「非日常への揺らぎ-関東大震災後の自警団と朝鮮人虐殺」

「《貴婦人と一角獣》を読む-《我が唯一の望み》の深層から見えるもの」

「見えない労働者-バングラデシュにおける33万人の家事使用人の少女たち」

「宝町は誰のものか-『鉄コン筋クリート』が描く都市計画」

「「伝統」を見つめ直す国王-モロッコにおける新家族法の制定から」

「インド都市部の雇用問題-人材開発システムをハリヤナ州から考える」

「近代的ミュージアム再考-ルーヴル美術館設立を手がかりに」

「「日本の捕鯨文化」という表象の問題」

「記号処理と「現実」形成-「現実」を見ているのは誰なのか」

「病院に来ない人々の死と生-インドネシア西ジャワ州タヌー村におけるプスケスマスの事例から」

「血と骨の還る場所-在日朝鮮人一世、二世と民族教育」