2017年11月17日金曜日

井上康 崎山政毅 『マルクスと商品語』

畏友の崎山政毅さんが、このほど井上康氏との共著で、とてつもなく重厚な理論書を発表されました。本年を締めくくる、と今から確言してもいい、圧巻の一書です。

井上康 崎山政毅 『マルクスと商品語』社会評論社、
                    2017年11月10日発行。

巻頭におかれた「はしがき」を一読するだに、この著作が投じる問いの根源性と射程の深さには、打ちのめされるような思いがします。「はしがき」から、以下すこし引用させていただきます。

「[…] 『資本論』初版(1867年)を世に問うに際してマルクスが求めた読者 […] 『資本論』がわれわれに求めているものをなおざりにした追究は、力能を備えた学知には至らないだろう。そしてそれらの説はなべて、貨幣主義に振り回されている。なぜならそれらの説を論じる者たちは、『資本論』冒頭商品論の最終目的を、資本主義的貨幣の生成の解明だと思い込んでいるからである。 […] マルクスのテキストそれ自体が冒頭商品論の部分で立てている問い、つまり「すべての商品に貨幣存在が内包されることを明らかにするには?」と、その問いの設定に内在する答えとを、確固として前景化させ復権させること - これこそがわれわれが本書で取り組んだ問題の中核に存しているものに他ならない」

「マルクス自身が序文で難解だと述懐しているのだから、 おそらく『資本論』初版を読み解けた人はごく僅かしかなく、ましてや「プロレタリアート」に届く筈もなかったのではないか。われわれは、エンゲルスもまた、『資本論』の、とくに冒頭商品論の十全な読解から程遠いところにいた、と考えている。[…]ドイツ語初版から第二版への「移行」=「改訂」において、叙述の卑俗化が施され、論理の後退が起きているのである。とはいうものの、論理の一方的な後退のみが生じている訳ではない。初版とは比較にならぬほど、ドイツ語第二版以降の冒頭商品論は理解するに容易な、明晰な叙述に変更されている。とくにその明晰さを示す概念が、「商品語」である。これは商品の擬人化ではなく、資本主義的商品が資本主義社会の基底的・支配的主体であることをみごとに表現するものと言っても過言ではない」

「[…われわれが、]1867年に刊行された初版の重要性に気がついたのは、30年ほど前のことになる[…その]転機は、1879年末から1880年初頭にかけてマルクスが書いた[…]アードルフ・ヴァーグナーの『経済学教科書』に対する批判的評注を、あらためて読んだことにあった。ヴァーグナーは『資本論』第二版を取り上げ評注したのだが、その評注に対する批判において、マルクスは、初版を改訂して世に問うた第二版における自説を否定しているのである。[…]ドイツ語第二版による初版の書き換えが叙述上の混乱をきたしていることを自己暴露しているのである」

「[…] 初版からドイツ語第二版、フランス語版、マルクスが没した直後のエンゲルスの手によるドイツ語第三版、そして1890年のエンゲルス編集第1巻=現行版の冒頭商品論を、文字通り舐めるように原文を比較検討しながら読み進め、繰り返し考察を加えた結果が、本書である […] 本書の目的は、『資本論』冒頭商品論の解読であり、それを第二版以降に述べられる「商品語」という概念に焦点をあてたうえで遂行するものである。」

ガーン! なんと根源的かつ壮絶な共同研究。凄すぎる。

つづけて、本書の理路として照準された、当の「商品語」についても、一箇所だけ引用させていただきます。

「[…] 20エレのリンネルは、自分に1着の上着を等置する。この関係において、「リンネルは、ひとたたきでいくつもの蠅を打つ」とマルクスは言う。これこそまさしく、商品語の〈場〉の特有の在り様だ。言い換えれば、商品語の〈場〉は、人間語の世界のような線形時空をなしてはいないのである。一挙に多くのことが(たんに可算的に多いというだけではなく、非可算的に、と言ってもよい)、語られ実現される。[…] 商品語の〈場〉は、人間語の束縛の次元を超出している。[…このような]商品語の〈場〉を捉えるためには、諸商品がしゃべる商品語を〈聴き取り・人間語に翻訳し・注釈を加える〉必要がある。では、「ひとたたきでいくつもの蠅を打つ」というリンネルの語るところを、マルクスはどのように〈聴き取り・翻訳し・注釈を加えて〉いるだろうか。」 (pp. 148-149)

本書の元になった、『立命館文学』連載論文の抜刷を、わたしはちょうど3年前、2014年の11月に、崎山さんから直接手渡しでいただきました。わたしがダカールに滞在している間にかれが発表した論文( 「前衛の機械」、「アンデスのアヴァンギャルド」、etc.)の抜刷も。その晩は、多磨や調布の飲み屋を次々とハシゴして、明け方近くまで談論風発、清談と哄笑を肴に痛飲した記憶があります。あのときの紀要論考が、このように巨大な果実となって公刊されたことに、ただ感激するばかりです。

全600頁ちかい大著の付録として巻末に添えられた
「『資本論』初版(ドイツ語)、同第二版(ドイツ語)、同フランス語版各冒頭商品論出だし部分の対照表と各邦訳」も、読み手の検証をうながす、じつに貴重なテクストです。

「『資本論』 初版刊行150年、『帝国主義論』刊行100年という年に本書を刊行できることに深い感慨をもつ。」                                                        (本書「あとがき」より)