2018年1月16日火曜日

西谷修対談集 『いま、「非戦」を掲げる』


























西谷修さんの初の対談集が、このほど刊行されました。

西谷修  『いま、「非戦」を掲げる 西谷修対談集』 青土社、2018年1月10日発行。

西谷さんご本人についてはいうまでもなく、そのつどの対話相手の錚錚たる陣容からも窺えるとおり、
本書は、『現代思想』、『図書新聞』、『世界』などで2013年以降に掲載された対談やインタヴューをまとめたものです。異なる媒体で活字化された対談記録を一挙に読みとおせるのは、読者としてじつに贅沢な体験であり、その意味でも、このような書物があればと、かねて実現が待たれていた出版企画だとおもいます。

戦費調達をあてこんだ「国債/債務」の応酬がいたるところで交わされる世界情勢を想うにつけ、自分がどの程度まで状況の一部に入り込んでいて、またそうであるかぎり、はたしてどの地点から非戦を訴えていけるのか/いくべきかを、とくに昨年来、答えも見つけられぬまま考えてきました。それだけに、本書の刊行は、「時宜」という以上に、なによりわたし個人にとって、じつに重要な参照点となるように感じています。

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「[…]わたしの対談集として一書にまとめるに際して、ここにある一貫性や軸があるとすれば、まずは「戦後七〇年」という時期であり、そのとき日本は、「破局」の大波が去った後で、その記憶を押し流すかのように、あるいは「未来」の破綻から目を逸らすかのように、もうひとつの破局たる「戦争」へと向かう地滑りの上に立たされているが、そのような状況に向き合い、その実情を解き明かし、それにどう対処できるかについて、非専門家として愚直に考え抜く、ということに尽きるだろう」

「「想定外」が到来してしまったということは、「未来」がもう来てしまってすでにここにある、ということである。「未来」はすでにここにある、というのが「災厄の後」の基本の考えであるはずだったが、それはたちまち押し流され、何食わぬ顔で先がないことがわかっている過去の枠組みが押し付けられようとし、それに歯止めがかからない、というのがわれわれの置かれている現在の状況である。だからあらゆる場面で実情を糊塗する「フェイク」が重ねられ、「オルタナ・ファクト」がまかり通っている。その「オルタナ・ファクト」の煙幕を払って、いかにして実相を見るか、そしてそれを足場にするか、そのための努力がこれらの対話を支えている」
                                            (以上いずれも、本書「まえがき」より)